881 「うちの孫は 首を絞められ!腕を取られ!地面に投げられた!」 とパヨクが騒ぐ! それ柔道の授業だよ!d( ̄  ̄) と突っ込まれ 都合悪くてその場から逃げたテロリストババア! ほんとクソ!( ̄◇ ̄;) https://twitter.com/ymtco/status/1499521493746679808?t=WeKY1dPRd3qVn5nATq5wIA&s=19 匿名さん2022/03/04 08:15
882 立憲民主党さん、ウクライナ難民への募金をウクライナ大使館や国連UNHCRに直接ではなく、何故か立憲共産党を経由して集めようとして炎上 =ネットの反応「直接寄付すれば税控除の対象になるのに、なんで間に入るんでしょうねぇー」 匿名さん2022/03/04 12:34
883 愛知揆一(1907-1973) 1947年、大蔵省銀行局長 1950年、参議院議員 1952年、通産大臣兼経済審議庁長官(45) 1955年、衆議院議員 1957年、内閣官房長官(50) 1958年、法務大臣兼自治庁長官(51) 1964年、文部大臣兼科学技術庁長官(57) 1966年、内閣官房長官(59) 1968年、外務大臣2期(61) 1972年、大蔵大臣(64)>>38 匿名さん2022/08/02 06:11
891 保利茂(1901-79) 1947年、第一次吉田改造内閣で商工政務次官(45) 1950年、民主党連立派幹事長から吉田自由党に入党。第三次吉田内閣で労働大臣2期(48) 1951年、内閣官房長官(50)。抜き打ち解散 1953年、第五次吉田内閣で内田信也の後任の農林大臣(51) 1960年、自民党総務会長(58) 1963-67年、落選(衆院佐賀全県区、6/5) 1966年、佐藤首相は農林大臣への起用を検討するが川島副総裁、田中幹事長らの反対で断念。 1967年、建設大臣・首都圏整備委員会委員長・近畿圏整備長官・中部圏開発整備長官(65)>>42 1968年、内閣官房長官2期(66)。前任の木村俊夫は佐藤首相の涙ながらの要請を快諾して副長官に降格し、副総理格の大官房長官を補佐することとなって、当時これは美談と言われた。 1971年、自民党幹事長(69) 1973年、行政管理庁長官(71) 1976年、衆議院議長(75) 匿名さん2022/08/06 09:14
896 田中角栄(1918-93) 1947年、衆議院議員(28) 1948年、民主党から民主自由党へ合流。山崎首班事件で一回生ながら法務政務次官の椅子を得る(第二次吉田内閣、30)。 1950年、長岡鉄道社長(32) 1954年、自由党副幹事長(36)、『吉田13人衆』の一角を占める。>>43 1955年、衆議院商工委員長(36) 1957年、郵政大臣(39) 1961年、自民党政調会長(43) 1962年、大蔵大臣3期(44) 1965年、自民党幹事長(46) 1968年、自民党都市政策調査会長、自民党幹事長(50) 1971年、通産大臣(53) 1972年、第64代・第65代首相(54) 匿名さん2022/08/11 17:52
901 小金義照(1898-1984) 商工省燃料局長官を経て1949年、衆議院議員(50) 『吉田13人衆』に数えられたが表舞台での活躍が少なかったのは、吉田と対立した岸信介とは出身官庁が、河野一郎とは選挙区が同じだったことが災いしたためとされる。 1960年、郵政大臣として初入閣を果たすも1期、7か月で退任(62)。前任の鈴木善幸も待たされた挙げ句の初入閣だったが、次の異動で池田の求めに快く応じて党務に戻り後に官房長官で復帰した。小金は自分だけ辞めさせられたと不満で池田との関係も悪化、敵対する福田赳夫派に走り2度落選して1972年に政界を引退した(74)。 1.小坂外相、荒木文相、鈴木郵政相、山崎自治相、大平官房長官 2.小坂外相、荒木文相、周東農相、◎小金郵政相、大平官房長官 3.小坂外相、荒木文相、福永労相、大平官房長官、小平総務長官 4.大平外相、荒木文相、大橋労相、宮沢経企庁長官、黒金官房長官 5.大平外相、大橋労相、宮沢経企庁長官、黒金官房長官 6.高橋法相、小山建設相、高橋経企庁長官、鈴木官房長官 匿名さん2022/08/13 03:13