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メンタル病の雑談スレ
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病んでなくてもメンタル病の雑談スレ
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浅はかだったなぁ…♪
そのうち忘れるんだって
思いつめてもしょうがないんだって
戻らないものはもう戻らない
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なんども手にする写真は破れず君はキレイだ
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殊勝に胸を張って謂える話しでもないが、わたしは自他共に認める『その日ぐらし』である。有体にいうと、長期的な視野だとか、コツコツとお勉強だとか、チマチマとなんかを集めるとかはマッピラごめん被りたい。マッピラごめんである(2回言った)。将来の事を考えるなんてバカみたいだ。
未来を考えるのは、陽光が燦々と降り注ぐビーチが窓から見える薄暗い部屋に閉じこもって、猫背でデスクに向かって仕事するようなものである。その日の太陽は、その日しかないのだ。1年365日、人生80年。10年後を考えて、その日にだけしか見えない素晴らしい風景を見逃し、その体験が出来ないということに、わたしは耐えられない。
この考え方は『厳しい』と『楽しい』は峻別すべきではない、というわたしの基本理念に基づいている。つまり、『勉強は時には厳しいが時には楽しい』とか、『遊びは時には楽しいが時には厳しい』とかの、モノゴトの二面性を区別すべきではない、と謂う考え方だ。一見、矛盾しているようにも思えるが、時に真実はひとつとは限らない、という点に着目する必要がある。
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たとえば、親にアレしなさいコレしなさい、と言われて素直に育った子供が、親になって自分がやりたかった事を子供にやらせる、という矛盾。自分が嫌いだった数学のお勉強を、将来の為だと言い放ち、子供に押し付ける矛盾。『子供の個性を活かした教育を!』と、唄いながら就職活動では全員リクルートスーツを着て軍隊のように闊歩させる矛盾、等である。いや、別にコレが悪い、とかそういう話ではない。単なるモノゴトの二面性の一例だ。
歪んでいる、と感じるかもしれない。ときに真実は矛盾を孕む。しかし、現実は甘んじて受け入れなければならない。
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キューバの田舎町。キューバ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。その魚はなんとも活きがいい。それを見たアメリカ人旅行者は尋ねた。「素晴らしい魚だね。どれくらいの時間漁をしていたの?」
漁師はこたえる「そんなに長い時間じゃない」旅行者は言う「もっと漁をしていたら、もっと魚がとれたんだろうな。おしいなあ」
漁師は自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと答えた。旅行者は尋ねる「それじゃああまった時間でいったい何をするの?」
「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子供と遊んで、女房と昼寝して。夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって…ああ、これでもう1日終わりだね」
すると旅行者はまじめな顔でこう言った。
ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、きみにアドバイスしよう。いいかい、きみは毎日、もっと長い時間漁をするべきだ。それであまった魚は売る。お金がたまったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり儲けも増える。その儲けで漁船を2隻3隻と増やしていくんだ。やがて大魚船団ができるまでね。
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そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。その頃にはきみはこのちっぽけな町を出て、大都会、ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」
漁師は尋ねた「そうなるまでにどれくらいかかるのかね?」
「20年、いやおそらく25年はいくね。」
「それからどうなるんだね?」
「それから?そのときは本当に凄いことになるよ」と旅行者はにんまりと笑う。「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」
「それで?」
「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て、日中は釣りをしたり、子供と遊んだり、奥さんと昼寝して過ごして、歌をうたって過ごすんだ。どうだい素晴らしいだろう」
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演歌歌手くるから夜危ないし親について祭りに行ってきた
水凍らせて行ったけど暑いし暑い中暑いたこ焼き食べて二時間耐えた具合悪かった
帰って冷房でこもり熱とれるまで10分はかかった
お腹すいた
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お腹は痛いけど生理がまだこない
透き通った綺麗な海で泳ぎたい週末までもつかな
釣りしてバーベキューしてキャンプして
暑さに耐えれるかな
暑さだけが心配
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ヤバイね
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扇風機で耐えてたけど
クーラー気持ちい涼しい
二度寝しよう
今月電気代1万こえそう
暑いのは2ヶ月くらいだししょうがない
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