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横浜ノーブル③-7
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>>517
相手は売れてる子?
だと横浜辺りでも1日で使う客いるから慣れててなんの感謝もしてないよね、多分。
俺、おっさんだから費用対効果で考えちゃって、そんなんなら1回切ってみて様子見るかな。 向こうから急にすり寄って来る事もあるし。 アフターすら無しは酷すぎると思う。
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>>517
早く帰って休みたい子もいるし
託児所に子供を迎えに行く子もいるし
何らかしら用があってダメな子も
いるんじゃないかな
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文句を言うなら行くな!
それでもいいなら我慢しろ
会いたいんだろう?
俺なんかどんだけ
すっぽかされたか計り知れない
今はしばらく来てない子だけど
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誰の脚でしょう?
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ずいぶんと
涼しくなったな
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三連休なのに
天気悪いな
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杉原による「命のビザ」発給の2年前にあたる昭和13年3月、ソ満国境の地・オトポールに逃れてきたユダヤ難民に対し、当時、ハルビン特務機関長の任にあった樋口は、人道的な見地から特別ビザを発給するよう満州国に要請。ドイツと日本の関係性を憂慮するあまり、ユダヤ難民の入国を拒んでいた満州国外交部に対し、樋口はビザ発給のための指示を与えたのであった。結果、多くの難民が命を救われた。これが「オトポール事件」である。
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その後、樋口は北方軍司令官を拝命。昭和18年5月には、アッツ島の戦いを指揮することとなった。樋口は現地軍への増援を大本営に求めたが、東京の上層部はこれを棄却。アッツ島はあえなく玉砕した。こうして樋口は「先の大戦における最初の玉砕戦の司令官」となった。多くのユダヤ人を救った男は、部下の日本人を助けることができなかった。樋口は号泣したという。
終戦直後に勃発した占守島の戦いでは、樋口は徹底抗戦を指示。この戦いにより、ソ連軍の暴走は食い止められた。もし、この戦いがなければ、北海道が分断されていた可能性は否定できない。
樋口とは先の大戦において、これほど重要な役割を演じた人物であった。私は樋口の生涯を考えれば考えるほど、彼ほど多くの歴史的教訓を私たちに示唆してくれる人物も稀有なのではないかと感じる。
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