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☆AXELbyACQUA☆アクセル☆-8 F-31
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本気で好きで可愛いくて大切なら店呼ばない金使わせない煽らない これが全てでーす
980
連絡すら来ないのに金使わなきゃいけないの?
981
3日連絡きてないんだけどwww
きもすぎ
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>>981
普通に切りたいんじゃない?w
そんな連絡ないならそう思うのが普通だと思うけど
好かれてる客なら話題終わったとしても追いLINEくれるよww
985
1番と特別が沢山いるんだね︎^_^
986
>>912
その子エースなのかな?
エースだとしたら理想のエースだよね
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宗右衛門町の歴史は古く、その始まりは江戸時代にまで遡ります。慶長17年(1612年)、平野郷(現在の大阪市平野区)出身の土豪“成安道頓”が、上町台地から流れる谷筋(梅津川)を利用し、東横堀川から木津川に至る運河を作りました。元和元年(1615年)、運河の完成目前に“道頓”は亡くなりますが、彼の死後、“安井道ト”らによって引き継がれ、同年11月に完成しました。
当初、この運河は「南堀河」などと呼ばれていましたが、後に、私財を投げ打って開削に力を注いだ“道頓”を讃え、「道頓堀川」と名付けられました。
この道頓堀川の開削と共に川の両岸には町家が開発され、これが『宗右衛門町』の原点となりました。その後、江戸幕府が大阪を直轄領とし、道頓堀川と西横堀川の合流点を境に東半分の開発が進み、「布袋町」「宗右衛門町」「御前町」「久左衛門町」「吉左衛門町」「立慶町」「久郎右衛門町」と多くの町屋が建設され、川八町が誕生しました。
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『宗右衛門町』の街の名は、17世紀中頃に「町年寄」を務めた“山ノ口屋宗右衛門”の名に因んだものと言われています。当時は西横堀川の西にも『宗右衛門町』がありましたが、そちらの町名は変更されました。
多くの街の人たちからは、「そえもんちょう」と呼び親しまれ、元禄16年(1703年)には、茶屋:27軒に免許が下ろされていたとの資料があり、江戸時代から“遊興の地”として繁栄していたと言われています。
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寛永3年(1626年)、勘四郎町(現在の南船場周辺)から道頓堀川南岸へと芝居興行や遊所が移され、道頓堀は“芝居の町(櫓町)”として繁栄します。この頃から役者が道頓堀川から芝居小屋などに入る「船乗り込み」と言った“川を活用した独自の文化”も発展し、道頓堀川周辺は、町人文化が発展・凝縮された町として、徐々にその姿が確立されて行きました。
道頓堀川の南岸(=道頓堀周辺)で芝居見物の後に、食事やお酒を楽しむために北岸(=宗右衛門町周辺)へ立ち寄る、という人の流れもこの頃から始まったと言われています。また、当時の宗右衛門町には、歌舞伎役者も多く住んでいたと言われています。
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