000
町田ステーション-5
+本文表示
この店どうなのよ
746
その優しい男性はタツヤさんといいました。タツヤさんは、普段は飲食業に就いていて、休みの日に学生時代の先輩の手伝いでビラ配りのバイトをしていると言っていました。将来は自分の店を持つという夢を語ってくれ、毎日遅くまで仕事をしているとも話してくれました。また学生時代はサッカー部で私と趣味の話しも合い、着ているものや持ち物等の小物もセンスが良いところも高ポイントでした。
そして、ことある毎に私を気遣う言葉を掛けてくれて、私はあっという間にタツヤさんに心を奪われてしまいました。
そんなこともあり、私がタツヤさんに身体を開くまでに、それほど時間はかかりませんでした。
747
タツヤさんと初めて身体を重ねたとき、今まで味わったことのない快感が体を駆け巡りました。何処を触れられても体が敏感に反応してしまう。体のどこかがおかしくなったのだと思いました。
そして、元彼はもとより、今まで私を抱いた男たちの拙い性技に、私は感じた気になっていただけだったのだと、強く思い知りました。
心だけでなく、身体の面でも、もうタツヤさんとは離れられなくなってしまいました。
しかしタツヤさんは仕事が忙しく、たまにしか会えないのが玉に瑕で、デートの約束が出来た時は、私は、天にも昇るような心地でした。
夏の終わり頃、タツヤさんと結ばれて、数度しか会えないうちに、季節は10月になっていました。
748
なんのこっちゃ
749
私は地方の旧家に生まれ、幼少からなに不自由なく育ってきました。両親や祖父母から惜しみなく愛情を注がれました。しかし家風は厳格で分不相応な贅沢や過剰な娯楽は厳しく禁じられていました。まれに親などに嘘ついて友人と遊興に更けることはあっても、家族からは品行方正な娘として信頼されていました。
小さな頃から色々な習い事をして、教養を身に付け、学業の成績は常に上位。高校は地元の伝統校に通いました。
校則は厳しかったのですが、田舎ならではのおおらかさもあり、網の目を潜って地元の繁華街などで羽を伸ばすこともしばしばでした。
地元では名の通った学校でしたので、その制服を身に付けていると、多くの男性から声を掛けられました。
750
繁華街で羽を伸ばすと言っても、やれることは限られており、友人とカラオケ、ボーリング、ゲームセンター、東京から2テンポ遅れぐらいで入ってくるスイーツやなどを楽しむぐらいでした。
そんななか、週に数度ぐらいゲームセンターで見かける男性から声を掛けられました。
地元ではあまり見慣れない色に髪を染め、10歳近く年上で、スポーツカーに乗るその男性は、私が高校生になるまでに周りに居た男性とは全く異なり、私の眼には余りに新鮮に写りました。
その男性から請われるに任せ、連絡先を交換しました。
その翌日から、その男性は放課後の時間に校門前現れ、私をスポーツカーで拐うのです。
そんな姿に私は激しく恋の炎を燃やし、出会って10日ほどで、その男性と初体験をしてしまうのです。
751
今まで出会ったことの無いような男性に処女を捧げた私は、同級生よりも一歩先に大人になったような気になりました。
実際に初体験を済ませた16歳の夏頃にはバストはEカップにまで成長し、その初体験の相手を夢中させました。
また、その初体験の相手は、AVが大好きで、デートでラブホテルなどに行った際には、必ずAVを二人で観賞し、その卑猥な行為を実践させられるのです。
AV女優のようなディープスロトやイラマチオ、69、パイズリを仕込まれる他、ローター、バイブ、電マ等の性玩具をこなすと供に、あらゆる性交体位を経験しました。
後にデリヘル嬢となった私が、お客さんの欲求に応じて、様々なプレーに抵抗なく対応できた素地は、この時に育まれたのだと思います。
752
なんのこっちゃ
753
その処女を捧げた彼とは暫くして破局し、また繁華街で友人と遊ぶようになりました。そのうち声をかけてくる男性の中から、好みのタイプの数人と身体を重ね、少しづつではありますが、男性を喜ばせる手管を身に付けて行きました。
そんななか、友人からの紹介で、後に同じ大学の同窓となる男性と知り合い ました。
大学の体育会競技選手で数々の戦歴を披露する彼は、紛れもないスポーツエリートとして私の目に写りました。
東京に住んでいて、週末には私の住む田舎に車で会いに来てくれる。そして、時間が許せばそのまま車に乗せて、東京まで連れていってくれる。
そんな姿に、処女を捧げた男性との失恋の悲しみも忘れ、また新たな男性と恋に落ちて行く私なのでした。
754
「大学生の時、本当に貧乏で。知らない夫婦のおうちの一間を借りて住んでました」と話す。30歳代の夫婦だったそうで、「夜の営み聞こえてくるのでは」と尋ねると、「夜はもう耳を閉じて寝てました。隣の部屋だったので」と返し、爆笑を誘った。
その一間に住むことになった経緯については「引っ越し先が見つからなくて。ほんと、お金がなかったので。家賃が3万円のところがいいなと思って探した結果です」と理由を説明した。場所は東京都足立区北千住だったという。
仕送りはなく、ずっとアルバイトをしていたそうで「めっちゃがんばってるやん」と感銘。現在も働きながら奨学金を返しているのか尋ねると「はい。いま、借金がけっこうあるので」と明るく答えた。
↑↑↑↑↑↑↑
こうして頑張った人も多いのにねぇ
755
セックスワーカー(笑)
※このスレッドのコメントはこれ以上投稿できません。