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俺の独り言!20
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これはただの独り言である!(笑)
深読みは厳禁だぜ!(笑)
誰の事でもねぇからな!(笑)
そこんとこヨロシク!(笑)
009
いろいろと話がつながっていて、面白かった
藤原道長の孫に働きかける欧州藤原秀衡改行この欧州3大は、大河ドラマ、鎌倉殿の13人に出てくる。
なので、佐藤所長が大泉洋と言うことを言っていた。
大泉洋は鎌倉殿の13人で源頼朝を演じていた。源氏である
佐藤所長も鎌倉殿の13人に出演していた
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働きかけたのは藤原清衡だった。その子供と孫が、鎌倉殿の13人に出てくる。
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清和源氏の八幡太郎吉家、
この人は武田信玄のドラマや小説等に必ずと言っていいほど出てくる名前、
戦国大名武田家の源流の人である。
武田信玄や武田勝頼が決意を固める時、必ずこの人の名前が出てくる
鎌倉殿の13人でも竹田家が出てきて、八幡太郎芳江の話が出てくる
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蝦夷軍の森に引き付けて挟み撃ちする戦い方、島津の釣り野伏と似てる🙂
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当てるが、適用山の中や藍色に誘い込んで十字砲火を浴びせるところは平方通り、
坂上田村麻呂が敵を分断して分断してから攻略することも平方通り、
昔から平方は使われている
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>>12
お、さすがむーちゃんだな
島津郡の得意先法を知っているとは
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ちなみに、調停の記録による100,000と言う数字、
これは毎回言うけれども、あくまで象徴的な数字として使われている。
例えば一騎当千。この一騎当千も象徴的な言い方である。
当時の人口比から考えて100,000と言う兵力を召集する事は不可能。
専門的に見ればわかることだけれど、
なので、こういう場合、平安時代の記憶記録で出てきた場合は、100,000とか言われたら、本当に100,000ではなく大群だったんだなぁ程度に参考にしておく数字
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ちょっとサンドイッチを食べる。
さっき食べきれなかったので、(笑
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>>15
本郷和人さんがわかってなかったやつだ!🙂
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