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これ知ってたら40歳以上(*´-`)
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有田のセーフティーバント(*´-`)
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>>779
出塁率の高い高木が1番セカンド、
進塁打の巧い加藤が2番レフト、
スイングスピードの速い屋鋪が3番センター。
闘将近藤貞雄曰わく、
読売に無い機動力で掻き回してやる。
…新春の神奈川新聞で、やくみつると対談。
なんと、当時、還暦過ぎてるのに、神奈川新聞本社に、
ウエスタンブーツ、
Gパン、
黒の革ジャン、
ピンクのハイネックのアイリッシュセーター、
ヘルメット&ハーレーダビッドソン。
…度肝を抜かれたと語ってた(やくみつる談)。
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>>780
今じゃ当たり前になっている
投手分業制を確立させたのが
近藤貞夫さん
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近藤貞夫は「スポーツカートリオ」って命名したんだよな
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屋鋪に「お前の足はカウンタックだ!」と言い、お前はミウラだと浜の番長に言った近藤さん。確かに三浦だ。懐かしい。
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平成元年の東京ドームでサヨナラ
ホームランを打ってホームに
帰って来た4番大島康徳を
ディープキスで迎えた近藤監督(笑)
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>>782
ノムさんは江川にお前の(百球肩の)せいで今の分業制になったってテレビで本人にボヤいてた(笑)
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>>786
そのお陰で「ピッチャー鹿取!」が流行語になった
その後、分業制を嫌う藤田監督のせいで鹿取は飼い殺しになって 哀れパリーグの埼玉の田舎球団にトレード
空白の1日のせいで選手が足りなくなって社会人に行くはずが頼まれてドラフト外で巨人に入ったのに
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>>781
1985年のオフ、東西対抗だったかな。
屋鋪のチームメイト遠藤一彦が、(仲の良い)ホークスの山内和宏と雑談してて、山内→遠藤→経由で、山本和範のバットを譲ってもらったのが、屋鋪の「勘違い」の始まりになってしまったのだ。
(グリップが細くヘッドを生かすバット)
スイングスピードが加速するが、変化球に対応しにくいバット。
さらに空振りの多い打者となってしまったのだ。
脚を生かすので有れば、グリップの太い、重いバットで、ミート中心の打撃を心掛けるべきだった。
だが、本当に守備は上手かった。
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