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池袋秘密基地 キョウマ-9
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ドケチ双子兄
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なんのための法律かな
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地元で不落の城🏯と陰口いわれてのwww
まだ不落の城は健在よ
ああまるで白鷺城のように
姫路 千姫という酒があるかな
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瑠璃光院
本尊は阿弥陀如来、要するに南無阿弥陀南無阿弥陀
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秀吉の正妻おね(高台院・北政所)が隠棲した高台寺から清水寺に続く参道が二寧坂(二年坂)、産寧坂(三年坂)
まぁ、どうする家康ははっきりみてないんだけど
淀君(茶々)が落ちたのはじぶんが自分がとなりすぎたからかな、
器が狭い。
小江は塞翁が馬かな
淀君の墓は大阪梅田の近くにあるし、小江の墓は増上寺にあるので参りに行ったけどやっぱり全然表の勝つか負けるかで墓の立派さが違ったんだよね
豪華絢爛であることが本当は怖いのよ汝
何事もニュートラルでありたいし( ◠‿◠ )
何を持って良いと感じるかは一人一人違うね
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どちらかに偏ることの愚かさをかんじ、
百済なさくだらねぇなで終わるんだ
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家康がおちょくったのを間にうけたり
下手で行かないと打首取られるんじゃ…
烏滸がましいんじゃわしも
東京が江戸だった時代、そう徳川家康が豊臣秀吉が江戸に領地替えを命じられた当時、江戸は大湿地帯だった。新橋のあたりは、まだ埋め立てられておらず、武蔵野の平野と水気の多い土地が一面に広がっていた。
今でこそ、東京は世界を代表する都市だが、当時は誰ひとりとしてこの土地に魅力を感じなかった。理由は、「洪水」の多さである。
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当時は、利根川の水がそのまま江戸の各水流に流れ込んでいた。大量の水流が無秩序に各支流に流されていくと、仮に大雨が降った場合は、ほぼその支流が氾濫する。そして水捌けが悪いので、土地はなかなか肥えていかない。当時はこうした水廻りが悪い、土地だった。
そんななか、家康は、利根川に対して日本史上に残る大治水工事を実施する。最初の工事は1594年から始まり、その後備前堤の開発、利根川、渡瀬川の河川整理が行われていく。
当然、家康一代で終わるわけではなく、それからおよそ300年に渡り、利根川の治水工事は実施され続ける。現在は、利根川の本流の河口は我孫子方面だ。まさに大きな川を人間の手によって「曲げた」一大事業として位置付けられる。
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秀吉が家康に対し関東への移封を命じた時点で家康は、三河、遠江、駿河、信濃、甲斐の5カ国を領する実力者であった。それを召し上げ、替わりに後北条氏の旧領であった関東8カ国(武蔵、伊豆、相模、上野、上総、下総、下野、常陸)を与えようというのである。
確かに石高だけを見れば150万石から250万石へと大幅に増えることになるので家康の面目は立つのだが、中央から遠ざけられることによる影響力の低下は否めなかった。
秀吉がそうまでして家康を自分のそばから遠ざけたかったのは、家康が自分に匹敵する実力者だけに、「いつかこの男に寝首をかかれるかもしれない」と怖れたからにほかならない。おそらく秀吉は、剣呑な敵対者を少しでも遠くへ追いやり、その隙に豊臣政権を盤石なものにしたいと考えたのであろう。
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よく、男が生まれた子供の名前を決めたりするがもうここから先左様なこと全員せんがいい。
全部女が決めよ
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アユマって勝手に名付けるなってこと
自分で決めよ
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