どうもこれだけでは私も肚に落ちないので、4月5日、朝日の中島記者と会って 情勢を聞くことにした。
（三木は何を考えているのか）
「総理は目下、予算案を通したい一心だ。4月5日になってもまだ予算案は衆院を通過していない。当然、三木は暫定予算を考えている。三木の頭はこのことと汚職追及で一杯だ。汚職追及は三木総理でなければやれないと見ている。だから総辞職などとんでもない、という思いだ。事実、三木は簡単にやめることなどしないだろう」
（椎名は何を考えているか）
「三木離れだし、田中離れだ。三木総理を使って田中を政治的に殺したいのではないか。椎名の願いは派閥の解消であり、党営選挙だ」
（三木が倒れた後どうなるか）
「話し合いなら椎名か福田、公選なら大平か福田だ。どちらにしても福田の公算は大きい。椎名は福田を推すかもしれない」
（検察当局はどう動くか）
「標的を田中角栄に絞ったらしい。検察の幹部は『雑魚を数名あげるだけで国民は納得するか』とさかんに検討を始めている」
（新聞の方はどう見ているか）
「汚職記事を担当している社会部は『田中をあげねばダメだ』と見ている。

越山会(田中事務所)や国際興業(小佐野の会社)にガサ入れをし、女王(佐藤昭)を喚問するなど追及のピッチをあげてゆくなら、問題(田中追及のキメ手)は解決すると見ている」
（今後どうなるのか）
「検察当局の動きと三木の粘り(国会乗り切り)の追っかけごっこだ。これが政局に一々反映してゆくだろう。米国の資料は検察の手に入った。これから二ヵ月後の6月か7月がこの問題のヤマになる」
中島記者の情勢分析は核心を衝いていた。私は検察の動きが一切の中心になる、三木もこれを考えつつ行動するはずだと見た。
その足で大平に会った。大平は黙って私の話を聞いた後、こういった。
「田中派は衆院予算委員会で自民党が単独審議してもよいから予算案をあげてしまえと決議したらしい。『宏池会もこの決議に乗って単独審議をやらせましょう』と鈴木がいってきたので、おれは止めておいた。木村元帥がやってきて『大平が鈴木に命じて宏池会は単独審議を議決せよ』とさっきいってきた。だがおれは事態がどうなるかまだわからんと思っている」
国会はロッキードの証人喚問を誰にするか何かで揉めて全面ストップし、予算審議も動かないのだ。

「ロッテの重光武雄社長(福田氏連絡者)が来て『福田と会ってくれ』といった。『いずれ会うが まだその時ではない』といっておいた。住友銀行の堀田庄三会長から『会いたい。大福の連携をせよ』といってきた」
「こういった考えがあるんだなあ。タカ派の福田とハト派の大平が一つになる。果たしてこれがよいことか、どうしてもそうしなければならぬかが問題だ」
このとき大平はまだ大福提携に懐疑的だった。だが私は一つも心配していない。私は大平の前で 私の思いを一気に述べてしまう。
「あなたは政治家などいつでもやめていい、と思っている。いよいよとなると捨ててしまうのだ。この状態は 私利私欲にとらわれない、といういい面もあるが、実は『苦しいことは御免だ、おれは逃げたい』ということにほかならない。この捨て方は自己中心の捨て方だといっていいだろう。本当のものは この捨てた状態の中から、どうしてもこうせずにはいられない、という願いが出てこなければならない。この願いがない時は実は諦めているし、問題を逃げている。これでは歴史の使命に対して あなたは答えていないことになる」

私がこういうと、大平は
「そうだ、おれには願いが出てこないのだ。政府与党連絡会議では 民社党を抱き込んで予算案を通せ、という考え方が出たが、おれはその気にもならない」
といった。私は
「あなたは宏池会のリーダーではないか。同志の期待を裏切ってはならない」
と話した。問題の予算案は4月9日、社会、共産、公明の三党が欠席。自民と民社の二党の賛成を得て衆院を通過した。三木内閣はともかくも渡るべき橋を渡り切った。三木首相の執念はこうして達成されることになる。さらに21日には五党首の会談で国会そのものの空転も一ヵ月半ぶりに打開の道がついた。
予算案の見通しがつくと与党の代議士たちは何かしらホッとして気持ちのゆとりを取り戻し、これからの展望を考え出すものだ。これは体験した人でないと判らない。当時の政治家たちが考えたことは当然ロッキードであり、政局の帰趨であった。一番最初に思いつくことは三木内閣の総辞職であり、ついで自民党からの脱出だった。この中で宏池会の行く道は椎名暫定と大福提携の二つの可能性である。
三木内閣の総辞職は椎名が考えた。「おれが作った内閣を おれが潰してどこが悪い」となった。

大平から椎名担当を命じられた田中六助代議士は、当時
「今国会中にも三木を倒す。短期決戦だ。鈴木善幸の肚を決めさせるのに時間がかかった」
と私に話してくれた。鈴木はもともと椎名暫定論だ。三木倒閣に椎名が乗り出すのならこれ以上の好都合はない。勇躍した鈴木は宏池会の若手を一人一人よび出し、この椎名構想を説得し始めた。私はこのことを全く知らない。後で気付いただけであったが、あまり不安はなかった。それは椎名が田中角栄の臭気を初めから背負っていたし、大平自身が乗り気でないことを知っていたからだ。
案の定、大平直系の若手がこれに反発した。それどころではない。佐々木義武科技庁長官、服部安司、伊東正義の三人は 青山マンションで協議した後「大福連合しかない」の結論を出して大平に進言したというのだ。
私は今まで誰にもいわず、大平と福田と私の三人だけで話し合ってきたことが、いま全く別の人々の行動によって裏付けられたことを知った。ひどく嬉しかった。大福提携は宏池会の中で公式に話し合われたことはほとんどなかったと思うが、時がたつにつれて暗黙の合意が形成され、椎名暫定論は少数説となってゆくことになる。

もう一つ別の動きが潜行的に進められていた。
「河野洋平一派(中曽根派と三木派の一部)が動き出した。田中角栄が政界を引退しなければ 次回の選挙は自民党からは立候補せず、脱党する。誰が止めても嫌だというのだ」
私は河野洋平のブレーンだった萩原記者からこの話を聞かされ「どう思うか」と意見を聞かれた。
「自民党を出るのはいいが、また復党するぐらいの余裕は残してほしい。一派を作るだけの動機は十分ある。だが飛び出したら河野洋平の大成は時間がかかりはしないか。それでは洋平君は中小企業の社長になれても 大企業の社長になれないおそれがある」
と私はいった。河野洋平一派はこれから二ヵ月ほどたった6月25日、わずか六名で自民党を離党した。
一方、椎名ははっきり倒閣にふみ出した。私は5月19日、瀬田に大平を訪ねた。
「三木総理にロッキード究明をやってもらうのが本当だ。三木を打倒したらロッキード隠しになってしまう。この動きに大平は加担すべきではない。鈴木善幸は慎重に行動するのが本当だ。深く潜行して反三木態勢を構築するのは結構だが、急激な倒閣に進むべきではない」
と進言した。大平は同意見であった。

この頃、大平は大蔵大臣をやめるつもりだった。そこで間もなく大平の “みそぎ論” が出てきた。政情を一新するためには「要職にある者が辞退すべきだ」というのだ。私はこのような考えを述べた覚えはない。これは大平の独自の考えだ。
〈おれも政治家をやめるから角さん、君もやめよ〉と大平はこの “みそぎ論” で田中角栄に呼びかけていたのかもしれない。
5月22日の夜、私は私邸で大平に会った。
「これからどうするかだ」
といって大平は 私に事情を説明しだした。
「一両日前、三木、福田、大平の三者会談が総理官邸であった。三木は臨時国会を早く開きたがっている。野党も通常国会で流産させた財特法の必要性を認め始めた。だから二日あれば確実に成立することが判ったのだ。解散はできない。解散すれば検察庁の行動は中断し、ロッキード隠しとなって三木の主張と矛盾することになる」
この段階で大平はまだ行動の原則はもっていない。みそぎ論からは積極的な行動は出てこないからだ。大平は私にこういって自宅の応接間に待たせている記者団との会見に出ていった。私はこの記者会見に出てみた。
記者団の質問はロッキード究明に集中している。

大平はうんざりしたような顔で
「ロッキードが一切に優先するのか」
と反論し始めた。私はこれを聞きながら
「ズレている。大平はロッキードが判っていない」と直感した。
国民一般はロッキード汚職の実態を知りたがっているし その理非曲直をただしたい、と思っている。これがまず第一なのだ。これを別に置いて三木降ろしを考えることはナンセンスであった。
翌日、5月23日の朝、大平から電話がかかってきた。
「新聞を見てどう思うか」
大平はのっけから聞いた。その日は日曜日なので、私は朝寝をしてまだ新聞を読んでいなかった。
「まだ読んでいない」
というと、大平は
「椎名構想をどう思うか」
と聞きただした。これなら答えられる。私はすぐ意見を述べ始めた。
「椎名の三木降ろしは失敗に終わる。むしろ大平のみそぎ論の方が正しい。ただ このみそぎ論を具体的なスケジュールに乗せて 臨時党大会、総選挙に結びつける必要がある」
「第一段階は検察庁の捜査を公正に行わせることだ。第二段階は臨時党大会だ。これで党内みそぎを行い、第三に総選挙で国民の批判を仰ぐことだ」

「椎名は田中角栄の秘密代理人と思われている。この人はみそぎ論の内容に立ち入るべきではない。第一、第二、第三段階までの段取りを決めさせるのが関の山だろう」
「第一段階のみそぎで田中派と中曽根派は根を浮かされてしまうだろう。派閥の再編成が始まるだろう」
私は一気にこう話した。大平は
「おれはロッキードが判らなかった。またよく新聞を読んで電話してくれ」
といって電話を切った。
私は新聞を読んで改めて瀬田に出かけることにした。
大平は待っていて経過を話してくれた。
「昨日の朝早く 椎名から電話があった。君の意見の通りにしたい、考え方を知らせてくれ、連絡には田中六助がいいと思う、という。今日、六助が来たので椎名に手紙を持たせた。便箋に二枚ぐらいの構想を書いて渡した」
「三木退陣構想は急がず ゆっくりやれ。椎名工作はこれからの段取りをつけるだけでよい。臨時党大会を開いて三木も公選に立てばよい。この後 人心を一新して選挙に臨めばよい」
大平はこういった後
「おれのやめ時はおれが自分で決める。福田がやめる、椎名がやめる……など他人がやめることなど一切関わりなしにおれ一人で決めるつもりだ」
といった。

私は
「大平が要職につかぬ、という姿勢を貫けば これがテコになって大きな政治力になるだろう。当然あなたは公選にも立たぬことになる。鈴木や同志の人々の突き上げを食うかもしれないが、党の再建には最大の働きをするだろう。こういうことを 積極的な受動性 (受け身だが積極的な働きをもつ手段) というのだ」
といった。やがて田中六助が椎名のところから戻ってきて別間で大平と密談の上、帰っていった。この日の大平は誰も人を寄せつけないように朝から門を閉ざしたままであった。
あとから判断がつくのだが、鈴木善幸と田中六助の椎名暫定論は 大平直系の大福提携論とともに大平を介して交錯していたことになる。みそぎ論の大平は この二つの可能性を両腕に抱え、今後の政局に臨もうとしていた。
翌5月24日、昼すぎに大平から電話があった。朝日新聞の企画で「福田と大平が紙上で対談することになった」というのだ。
新聞社の質問の中に「灰色高官をどうするか」という質問がある。これにどう答えるか。「学者諸君に君から意見を聞いてくれ」ということがその内容だった。
この企画はまさに的を射たものであった。