8月26日、宏池会は恒例の夏季講習会を箱根で開き、大平は箱根談話を発表した。この二日後に「興人」が倒産している。興人は多角経営を行い、土地買いに手を出した結果、資金が寝て運転資金に詰まり、破産申請に追いこまれたのであろう。総需要抑制下の典型的な倒産だった。
不況の進行を示すものとして 興人の倒産はショックだった。本来、大平の箱根談話は景気浮揚策に触れるべきだった、と私は思っていたからだ。
臨時国会が開かれた9月11日の翌日、私は “田中に近い筋” と会った。これは私の判断とつき合わせるためだ。
「田中・椎名会談はうまくいった。だが田中・大平会談ではまだ話はついていない。大平に近いサンケイ新聞の阿部政治部長が椎名暫定を大平に話すと、大平は渋い顔をして返事をしなかった」
私はこの話を聞いて、大平は田中や鈴木の説得にもかかわらず椎名暫定を受け入れないことを知った。
もう一つはっきりしたことがある。田中が再び野望をもったことだ。三木を倒し、椎名を暫定としたあと再び自分が政権をとる、という執念にも似た願いだ。この願いのため、大平は田中に利用されようとしている。私はそう感じた。

この頃だと思う。私は東京新聞の萩原記者と会って「社会党から見た保守党の情勢分析」をきかせてもらった。私は大いに啓発された。
「田中角栄の刎頸の友、小佐野が福田に接近しはじめたが、福田側はこれを罠だとみている。田中派の中の大平支持は二階堂ぐらいのもので 他の大半は見放している。これが反映してか公明党の竹入は大平を無視しはじめた」
「社会党左派の佐々木更三は 三木内閣の後は暫定内閣となり、このあと本格的な自民党政権ができる。社会党中心の連立内閣ができるのはこの後だ、とみている」
萩原は私にこう教えてくれた。
佐々木がこのように想定するのは河野謙三参院議長が佐々木に話したからだし、河野がこう考えたのは田中角栄が河野に将来の構想を述べたからだろう。このことは容易に想像がつく。
「三木内閣の後の暫定政権」とは椎名内閣だし「その後の本格的な自民党政権」とは田中内閣のことだ。これもすぐ判る。
「小佐野が福田に接近しはじめた」というのはどういうことか。これは福田をある点に動けないようにしばりつけるためだろう。以前、田中は大平に「福田の周辺には人がいない。これが困る」といったことがある。

これは「福田の周辺に田中の自由にできる鈴木善幸のような人物がいないので、福田の行動に影響を与えることができない」ということではなかったのか。私は段々と田中の構想とその行動様式がぼんやりながら判りかけてきた。
10月31日、私は宏池会で安田秘書と話していると、そこへ鈴木が入ってきた。私は何とはなしに本音を鈴木へ話してしまう。
「田中・福田の接近説が流れている。これはまずい。大福の接近が本筋だ。これをやれば第二の保守合同になると思う。財界は経済の判らぬ三木では困ると思っている。大平でも福田でも どちらが頭になってもいいのだ。今これをやれるのは田中角栄かあなた(鈴木)だろう。田中派の表面的な意向にとらわれて、いつまでも同じところに止まっていては宏池会は一番遅れてしまう。このことを一つ心に置いてほしい」
「田中派の動向で宏池会がきまるというのではなく、宏池会の動向で田中派がきまるというのが正しい。田中の後ばかり追っては務まらない。三木武吉と同じ働きを鈴木善幸がしなければならない」
「経済危機の現在では経済の判っている者が中心にならねばならない。これからは福田と大平の時代になる」

私の話が鈴木の肚の中に入ってゆくのがよく判る。しかし最後になると鈴木は判ったような判らぬような顔になった。
「いいさ、すぐ判らんでも。何度も繰り返せばいつか鈴木も判るだろう」
私はそう思った。

ランブイエのサミットに出発する日を三日後に控え、私は大蔵省の大臣室で大平と話していた。
「田中は結局、自分のことだけを考えている。この男の考えは自己中心なのだ。政局に対する解決策を、おれにいいきらない」
大平はそう私にいった。これは大平がはじめて田中についての本音を吐いた最初の言葉だ。「あなたは田中に騙されている」と他の人がいうたびごとに、大平はいつもただ黙って嫌な顔をするだけだった。一度も大平は言い訳をいったことがない。
何かを常に信じていた。「君たちにはそう見えるだろう。だがあの田中がおれにそういうことをするはずがない」。大平はいつもそこへ回帰していった。
だが今度はそうじゃない。何か田中の思いの中に身勝手なものを感じたのだ。私はここではじめて大平にいった。
「私は近く福田に会いますよ。ランブイエ会議の最中になるかもしれません」

三木総理と大平蔵相らがランブイエの六ヵ国首脳会議へ出発した後、私はなぜか気がすすまず、福田副総理への会談は申し込めなかった。サミットが終わった11月17日、やっと尻を叩かれたように初めて人を介し、福田副総理に会談を申し入れた。だが返事はなかなか来なかった。
約一週間たった。まだ返事はない。
三日後の11月26日からは公労協のスト権ストが始まろうとしていた。長期不況の中で物価の値上がりがもやもやといぶって、新価格体系の樹立が云々され「公債を抱えた経済運営」が問題となっていた。先行きの不安から経済界は「経済政策の判る者が政治の主導権を握る」ことを心中希求していた。私は大福の連合がこれに対する答えではないかと思い始めていた。
11月26日、公労協によるスト権奪回のストが始まった。この日から十日間、12月5日まで国鉄はストをぶち抜くという。不況下での長期ストがどれほど国民の批判を招くか国鉄労組は知らないようだ。
宏池会の斎藤邦吉は「国労ストは三日間は続く。だがそれ以上はもつまい」といったが、世間一般もおそらくそう見ていたと思う。
斎藤のいう三日間が過ぎたがストは依然強行された。

自民党が硬化しはじめ、田中派は解散論をぶちはじめた。自民党の感覚からいえば当然の対応だ。大平派は田中派に同調している。主流派の三木派は解散回避だ。中に立って三木総理は立ち往生だった。
池田内閣か佐藤内閣なら解散するだろう。だが三木内閣にはこれができるだろうか。下村の勉強会でこのことが問題になったとき黒金泰美が
「スト問題は解散に結びつくキッカケがない」
といった。そうだ、国鉄が動かないということを理由にどうして衆院を解散できるのか。内閣不信任案でも出るというのだろうか。
12月1日になってもまだストは続いた。1日、2日、3日とストライキは続行され、これなら12月5日まで続くかに見えた。3日の朝、朝日新聞は「明日から列車は動く」と大見出しで報道した。
国民の苦痛は限界に達し、何ら収穫のないこの不毛の闘争は自然に収拾へと動き出した。結局、三木内閣は何もしなかった。
この日、私は福田副総理の秘書官から連絡をうけ、12月5日 都内の料亭で夕食を共にして話し合うことになった。

12月5日、私は福田副総理と会った。
「ブーちゃん、久しぶりだね」
福田は開口一番こういった。

この人は昔と全然変わらない。何のこだわりもなく、どんな人にも会えるのがこの人の特徴だ。福田とはこれ以後、何度もこういう対応をすることになるのだが、私は一度も嫌だなと思ったことはなかった。話は自然に政情になっていく。
「経済危機は深刻だ。経済について勘の働かない三木総理では心もとない。大平・福田のいわゆる薩長連合が必要だ。これで乗り切るしかない」
私は初めから結論を述べた。福田も
「大福提携しかないと思う。これができれば党内も国民の心も結集するだろう」
と同意した。
「どういう態勢で薩長を連合させますか」
「大平君が総理なら私が総裁になり、私が総理なら大平君が総裁という形だ」
「本当は総理と総裁は一体であるべきだと思いますよ。私はあなたが総理総裁になってもよいと思っているのです」
「どちらでもいい。私は党の体質を変えようと思っている」
「その総裁をどう選びますか」
「話し合いで選べばよい」
「そうはいっても党には公選の規定があります。党規約が守れないようでは困ります。時には話し合いによる公選もある、ということではないでしょうか」
「私の考えもブーちゃんの考えと同じだ。公選がお祭りになればよい」

「今の党内情勢は三木、福田、大平の三角関係を横に見て椎名が大福を食べている、という形ではないでしょうか。三木さんはいつまでももたないと思います。国鉄ストに見られるように何らの対策も出てきません。椎名は自分のところへ “権力” が落ちてくるのを待っているのではないでしょうか」
「いや 椎名に総理総裁の野心はない。第一、体がいうことをきかない。椎名は綺麗事(党営選挙)を考えているだけだ」
「オイルショックによる不況という経済危機が重くのしかかっている。だから解散などできないのですね。通常の状態ならとっくに国労スト解散ですよ」
「その通りだ。三木総理は来年1月の解散を考えてきたが、これはできなくなった。解散すれば暫定予算を組まねばならず、そんなことはできなくなった」
「財界には相当の危機感があると思います。大福連合は色々の筋から押していると思いますが」
「田中角栄のところへもいっている。考えも大分変わってきたと思う」
「大福連携について、あなたの方(福田派)に問題はありませんか」
「何もない。私がきめればそれで全てだ。反対なら出ていってくれといえる。これは宏池会とは違うと思う」

「残念ながらこちらはなかなかそうはいきません。大平が考えても宏池会の内部は色々だろうし 福田さんへの怨みもある。ことに田中角さんは福田さんに対し深い怨みを持っている。これに対する同調もある」
「田中は私が『文春』の記事の企画に火をつけたといっている。私ではなく越智通雄(福田の女婿、代議士)とまでいっている」
「その他のことで何かありませんか」
「三木は複雑だ。田中や大平、それにおれの方が単純だと思う。中曽根は総理になりたがっている。大福の連携ができれば国民は喝采すると思う」
「私の方はその状況になるまで半年はかかると思います。福田さんの方も半年かかって、その間に態勢を作って下さい」
「私は今日の会談に非常に深い感銘を受けた、仲介にたった人にそういおうと思っている。今後、ブーちゃんに会う時は横手秘書官を通じて連絡しよう」
福田氏との会談は、私にとってすっきりしたものだった。ひどく緊張したのを憶えている。そのくせ私は二、三時間一人で喋り通しに喋った感じであった。
〈大福が連携する、という肚をきめればよい。後の方法はひとりでに決まってくる〉と私はぶち続けた。変だった。

私は相手の思いを聞くつもりだったが、いつの間にか私の方から思いをぶっつけていたのだ。
翌12月6日、私は大平と大蔵省で会って福田との会談内容を述べた。
「福田は総理・総裁分離論を述べ、自分と大平のどちらが総理になってもよい、他の一方は党に居る体制を話していた。私は『福田が総理総裁になれ。分離論はとらない』と述べておいた」
私がこういうと大平は一言も喋らず黙って聞いていた。時々目つきが鋭くなった。〈よけいなことをしてくれたな〉という目ではなかった。

12月11日、東洋工業は経常収支で150億円の赤字を計上し、財界ぐるみでこれを助けようという動きがある、と新聞は報じた。不況の深刻化はいよいよ大企業にまできた。その翌日、私は宏池会で鈴木に会った。
「福田派との連携は可能性がでてきた。経済危機がこの連携を促進するだろう。問題は田中角栄だ。田中までの話はみな意見が一致する」
と話したが、鈴木は依然として釈然とはしなかった。
翌日、私は大平と会って「今後の動きを進めるには鈴木善幸にやってもらうのが一番だと思う」と述べた。私は提携が軌道に乗れば身を引くつもりだった。