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過去の被曝に対する発言について 山本太郎(れいわ新選組代表)
私が政治家になる前、
過去の被曝などに関する発言で、
配慮が足りないものがあったことは事実です。
当時、自分自身がどのように考えていたのか。
2019年に質問を募集し、
それに対して答える形式の中から、
該当するものをご紹介いたします。
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【原発、被曝の問題を訴え続けている太郎には、「デマを言うな」「歩く風評被害」という言葉を投げつける人もいる。デマ云々は別にして、「傷つけないで」と言う人もいる。被曝の問題について、あまり口にしてほしくないと言う人の気持ちも理解できる。しかし、それを政治が利用するような構図もある。
この本のために太郎への質問を集めたのだが、そこには、以下のような意見が寄せられた。
「私も原発には懐疑的ですが、福島に対してネガティブな印象を与えるようなことは言わないでほしいです。父の地元が福島です。今も人がたくさん住んでいます。被災者対応と原発に対する反応を混ぜて、そこに住んでいる人を傷つけないでください」
30歳の男性からの意見だった。太郎はこの男性や、彼のような複雑な思いを抱える人に対して、伝えたいことがあるという。】
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太郎からのメッセージ
実際に「あなたに傷つけられました」という人から手紙をもらったこともあるし、直接言われたこともあります。これまでの私の言動や行動から傷つけられたという訴えです。直接手紙やメールで返事をしたこともありますが、その内容はほぼ同じです。
改めて、ご質問いただいたあなたにもお答えをさせて頂きます。
私の未熟さゆえに傷つけてしまった人々に対して、許されるおわびの言葉など存在しないと考えますが、山本太郎に心をえぐられたとお感じになる方がいらっしゃるならば、私は加害者です。心よりおわび申し上げます。
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私がどう未熟であったかをお話させてください。私の国に対しての考え方が180度変わったのが、2011年の原発事故でした。それまでは何かしらの災害が起こった際には、国は全力で人々を救うものだと安易に考えていました。それが一瞬で崩れ去った出来事でした。
最初に驚いたのが、放射性物質が漏れ出した際の政府発表、「直ちに健康への影響はない」でした。まったく影響はないではなく、直ちに影響はないという言葉を使ったことに驚いたのです。政府は嘘を言っていません。確率的被曝、長期の低線量被曝について否定をしていないからこそ、直ちに影響はないという言葉になったのだと私は理解しました。であるならば、被曝を回避できるように予防原則にのっとった避難計画が立てられるかと思いきや、避難対象になった地域は30キロという狭い範囲であり、実測値に基づいたものではありませんでした。
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2011年冬、チェルノブイリを訪れた際、避難の基準は実測による汚染を考慮したもので、避難の範囲は円ではなく、いびつなチョウチョのような形をした避難区域であったことを確認しました。国民の生命・財産を守るというなら、科学的に安全か危険か判断が分かれる部分については予防原則にのっとるのが基本です。汚染状況などはっきりしたことが分かるまでは国が避難をさせる。状況が分かった段階で住民に真摯に説明し、戻るのか、避難先に移住するかを選択してもらう。これが普通の段取りだと思っていたのですが、そうではありませんでした。
もっともショックを受けたのが、事故後、人々への被曝を年間20ミリシーベルトまで許容したこと。その時期、福島県のお母さん方が文部科学省に交渉、申し入れを行うことを事前にネット情報で知り、私も現場に向かいました。私自身、マスコミのいる政治的な場所に行くことは避け続けていました。
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私のいた芸能界はスポンサーが神様。原子力にかかわる企業は非常に広範です。そのスポンサーのイメージダウンにつながるような言動、行動、抗議活動に自分がいる画を撮られてしまえば仕事に影響があることは確実。なので、そういった場面には出向かないよう自制していました。
しかし、放射線管理区域の4倍の数値、子供に年間20ミリシーベルトを許容するような国であっては未来などないと考えました。事故の前後で安全とされる基準が変わるなら、基準の体をなしていない。あくまで事故前の放射線防護の基準に基づいて命を守れという主張です。この不条理にみんなで怒って、現実を変えよう、仕事を干されてもいいからとにかくこの現状を多くの人に知ってもらうために大きな声を上げようと覚悟を決めました。
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しかし、事態はすぐには動きません。国が人々の命を守る行動に出ないならば、自分のできる範囲での呼び掛けをしようと判断しました。逃げろ、逃げてくれとインフォメーションすることでした。これは福島県に限った訴えではなく、東日本にまだらに広がった汚染に対して逃げてくれという訴えです。
ここで私が無知であったのが、移動できる人々は限られている、このことをちゃんと理解できていなかったことです。先祖代々受け継いだ土地を守ることや、仕事の都合などさまざまな事情があることは当事者からお聞きしていましたが、何より国のバックアップなしに一から新しい生活を知らない土地で始めるなど、不可能である人々がほとんどであることを理解していませんでした。国が大丈夫と言うのだから、それを信じる以外何ができるんだという言葉の意味を理解できなかったのです。
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逃げろのメッセージを発した半年後ぐらいに決定的な学びの機会がやってきました。一家4人の移動費も捻出できない私たちがどう逃げろというのかとの言葉を受けたときです。衝撃でした。それまで貧困など日本とは関係のない話で、生活が苦しいという人は頑張りが足りないのではといった間違った認識を持っていた自分にとっては、とんかちで頭を殴られた思いでした。おそらく自分はどこでも生きていけるといった根拠なき自信を周りにも勝手に当てはめていたのかもしれません。
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放射線管理区域と同等、それ以上の場所がある地域で、東日本女子駅伝というイベントが2011年11月に開催されるときにも、反対の活動を行いました。駅伝をきっかけにもう一度線量の高い地域で人々に生活をさせることへの問題を提起する思いでしたが、原子力災害から普段の生活を取り戻していく途上の人々にとっては、迷惑でしかないと感じる方々も大勢いらっしゃったと考えます。
批判の声も大きく出ましたが、福島県民の方の中にもよく言ってくれた、ありがとうと応援してくださる人々もいらっしゃいます。上げづらい声を自分が発していかなければならないという使命感もあったと思います。
逃げろ? 汚染に気を付けろ? この土地に暮らし続ける私たちをいったい何だと思っているんだ。
私のアプローチがあまりにも粗削りで、デリカシーに欠けた配慮のない行動だとお怒りのお言葉はこれまでにもちょうだいしていました。自分でも丁寧なアプローチではないという思いはありながらも、これは時がたてばたつほど風化してしまう。一番の加害者である東電と国に逃げられてしまうと勝手に焦っていたのです。
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世の中を変えることは簡単ではないという当たり前のこと。当事者への最大限の配慮をしながら現状を改善していくという合意形成の難しさなどを理解しないまま、がむしゃらに突っ込んでいった。あまりにも無知、未熟。恥ずかしながら、これが当時の私自身です。
では、その謝罪の気持ちを言葉以外の何で表すのか。皆さんのお役に立てる政治家として努力することで役割を果たしたいと考えます。国や東電に対して原発事故による被害、長期低線量被曝も含めた賠償、医療の補償も求め続けます。最低でも1999年に起こった茨城県でのJCO臨界事故における東海村の医療保障レベルは担保させなければなりません。
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