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千葉 プリマドンナ-7
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不要不急とは?
コロナと共存するには?
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親に「産まなきゃよかった」と言われ、親に従順に生きてきた夫は何も決断できない。
親から生きる価値がないと破壊的メッセージを受け、自分は迷惑な存在だと自己イメージを持っている。
心が破壊されているから自分自身の考えは無い。
こうあるべきということで頑張って燃え尽きるタイプ。
こうあるべきという意識が強い人は、自分の能力・自分の出来る範囲・自分の適性を無視して頑張るので疲れてしまう。
「自分は迷惑な存在だ」という否定的イメージがあるので、相手を喜ばせなければならない(期待に応えなければいけない)
親に傷つけられ世間に対して恐怖感を持ち、生きるのが怖い。
これを改善するためには、否定的自己イメージを変えることが心理的治療で大切だけれども、大変困難である。
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生きるエネルギーを失うと、人は変化を恐れます。
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べきの暴君に支配されている人は一度、自分は不安、抑うつ、自己嫌悪、敵意、そして自己憐憫の感情を持っていないかと心のなかを見つめてみることである。
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「べき」という欲動の専制によって、現在の自分とは異なった何かに向かって、あるいは自分が持つ可能性とは違った何かに向かって熱狂的に駆り立てられる。
そして想像力の中で彼は別な自分になる。
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無意識にある怒りや復讐心を抱えてしまった人を「べき」の「暴君」と呼んでいるが、「べき」とは道徳で、「暴君」とは文字通り暴力を振るう人のことである。これらは矛盾している。
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理想の自分への執着がある人は、べきの暴君。
樹木を想像してみて欲しい。
心が怯えている時に、上に上にと幹を伸ばそうとしてもダメ。
名誉や社会的成功は悩みを解決させない。
しっかりと横に根を張ることのほうが大事。
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@憎しみを隠すために陽気に振る舞う。オーバーに不自然に笑う。(心の底に不安や嫌悪を隠している)
A怒りや憎しみは愛の仮面をかぶって登場する。
B「べきの暴君」も憎しみの変装した姿である。「べきの暴君」に支配されて生きてエネルギーを失っている人は
心の奴隷である隠された敵意が土台になって「べき」が、「べきの暴君」になる。
C憎しみは相手に対して非現実的なほど高い期待に変装する。
D肉体的に現れる。
E愛情欲求になって現れる。
F正義の仮面をかぶって登場する。
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なぜ人は「べきの暴君」という歪んだ価値観に支配されてしまうのか。それは「本当の自分」が見つけられていないからである。エネルギッシュに生きていないからである。
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人助けに自己犠牲を要求するのは「べきの暴君」であり、犠牲的献身にしか愛を感じられない幼稚な精神。その末路は「赦せない環境に自分が陥った時に脱出する手立てがなくなる」事である。「自己否定感・基本的不信感が強いほど、自他に対する理想化の度合いが強まる」という。
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聖母幻想・日本男児幻想はいろんな人を縛り苦しめてると思う。一番大事なのは「男らしさ」「女らしさ」よりも「自分らしさ」「その人らしさ」かと。弱者を捨て駒にする「トカゲの尻尾切り」や「強者が正義で弱者から何もかも奪っていい」という強尊弱卑の思考も改めるべき。
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