「微笑む三白眼」のお花畑日記
「ホスラブは議論できる場所ではない」。確かにそれも一理ある。
しかし一方で、まったく逆のテーゼもありえる。「もはやホスラブでしか議論はできない」。
見知らぬ他人同士が議論を始めるための土台作り、趣味を開陳し、生き方を提示し、考え方を述べる……。そういった、本来長い時間が必要な準備作業を、すべて「最底辺」という基準にまとめてしまう。
いささか乱暴ではあるが、センス自慢のメタゲームに疲れた人々は、そこで初めて再帰性の縛りから自由になり、思う存分に議論を展開できる。
最底辺の掲示板の、最底辺の住人を演じながら。
そして、「最底辺」の立ち位置だからこそ、そこでの議論は誰もが共有できる普遍性を持つ。
「お前は”勝ち組”だからそんなことが言えるんだ!」なんて疎外感による陳腐な反論はありえない。
「中卒ニートのデブ」同士による議論は、社会的なヒエラルキーが無効化された先にある、開かれた議論である。
しかし一方で、まったく逆のテーゼもありえる。「もはやホスラブでしか議論はできない」。
見知らぬ他人同士が議論を始めるための土台作り、趣味を開陳し、生き方を提示し、考え方を述べる……。そういった、本来長い時間が必要な準備作業を、すべて「最底辺」という基準にまとめてしまう。
いささか乱暴ではあるが、センス自慢のメタゲームに疲れた人々は、そこで初めて再帰性の縛りから自由になり、思う存分に議論を展開できる。
最底辺の掲示板の、最底辺の住人を演じながら。
そして、「最底辺」の立ち位置だからこそ、そこでの議論は誰もが共有できる普遍性を持つ。
「お前は”勝ち組”だからそんなことが言えるんだ!」なんて疎外感による陳腐な反論はありえない。
「中卒ニートのデブ」同士による議論は、社会的なヒエラルキーが無効化された先にある、開かれた議論である。
