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うちの猫がいちばんかわいい-5
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猫の親バカスレ
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音楽雑誌で「尾崎版『氷の世界』を目指したような曲」と評されたこともあるが、須藤との対談で尾崎は「本当のことを知ってる人が普通の恰好で同じことを歌った」と語る。「本質を客観的にみてごらん」という気持ちがあったという。だが、その言葉は若者世代に届いたとは言い難い。
尾崎の死の2年後、吉本は女性史研究家の山下悦子とともに、尾崎の父と対談している。
吉本はそこで尾崎を「明らかに言葉の人」で「本格的な評価をしないといけない」とし、「まったく違うようにみえても中島みゆきという人にとてもよく似ている」と印象を語っている。
これを読んで、震えた。全く同じことを私も考えていたからだ。
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「I LOVE YOU」か「OH MY LITTLE GIRL」か、それとも「15の夜」か
尾崎豊の代表曲は何か?という陳腐だが逃せないアンケートが何回かあった。
「I LOVE YOU」や「OH MY LITTLE GIRL」といったバラードの名曲か、キーワード♪盗んだバイクで走り出す♪の「15の夜」、あるいは♪夜の校舎 窓ガラス壊してまわった♪の「卒業」が定番だ。
尾崎のプロデューサーだった須藤晃は「卒業」を、中島みゆきの「時代」とともに後世に残る作品と評価した。とくに「卒業」は体制に対するプロテスト・ソングではなく、内省的なエレジーだったとエッセイに書いた(「Pen」5月1・15日GW合併・特集「尾崎豊、アイラブユー」 2019年475号「孤独の遺産」より)。同感である。以下、私も精神科医として中島の「あした」、尾崎の「シェリー」などをもとに考えてみたい。
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俳優の吉岡秀隆は尾崎の曲「シェリー」を聴くやいなや、電撃が走ったという。尾崎の晩年、5歳上の尾崎を兄として慕い、追悼式では弔辞を述べる関係だった。
私も同じクチ、である。尾崎のデビュー時には夜討ち朝駆け取材に明け暮れ、よいリスナーではなかった私は、弟から教わった尾崎の曲を聴くうちに虜(とりこ)になった。とくに、「シェリー」。
♪シェリー みしらぬところで 人に出会ったらどうすりゃいいかい
シェリー 俺ははぐれ者だから おまえみたいにうまく笑えやしない♪
精神科医で歌手のきたやまおさむは、著書『帰れないヨッパライたちへ 生きるための深層心理学』の中で、この詞にふれている。
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「彼は世界中が自分のことについてしゃべっているようだけど、いいことばかりは言っていないなと感じたときに、恐怖を感じるような対人恐怖症的心性、あるいは被害妄想的心性を経験したのではないか」
無防備で不特定多数の人前に立つシンガーのような職業人は、人工的なナルシシストや職業的な二重人格者になる、ときたやまは分析する。
覚醒剤でやつれる尾崎を支えた妻の繁美は、著書『親愛なる遥(とお)いあなたへ 尾崎豊と分けあった日々』(1998年、東京書籍刊)で尾崎の幻覚妄想などを再現した。
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「孤独なニューヨークの街から精神的にダメージを受けたのかもしれない。だから薬に手を出し、彼が抱えているすべての悩みから解き放たれたかったのだろう」
繁美が浮気をしたと疑って何度も殴り、鏡を見て歯磨きをする妻に「もうひとりの自分に向かって何を話していたんだ!」と怒鳴る尾崎の目は完全にすわっていた。
1988年の東京ドームコンサートの1週間ほど前、急に「キャンセルする」と言い出し、「覚醒された世界から」妻を見つめた。かと思うと2日で現実の世界に戻り、リハーサルで声を枯らした。
ところがまた前夜、「喉に悪いよ」と繁美が止めるのも聞かず、「どうせ明日はキャンセル」と冷蔵庫のキムチを平らげた。
私は今、その東京ドームライブ2枚組CDを手元のラジカセで聴きながら、この原稿を書いている。なんということだ。
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こうした尾崎の言動は精神医学的に「境界性パーソナリティ障害」(BPD)と診断されうる。
「境界性パーソナリティ障害」からの魂の叫び
BPDは対人関係や自己像、感情の不安定さが著しく、衝動性の強い性格の者が以下の9項目のうち5つ以上満たす時に診断される。
1.人に見捨てられることを極端に恐れる。2.相手への理想化とこき下ろしの極端な揺れ、3.不安定な自己像、4.自己を傷つける2つ以上の行為(浪費、性行為、物質乱用、無謀運転、過食)、5.自殺行動、繰り返す自傷行為、6.短期的な感情の不安定さ、7.慢性的な空虚感、8.不適切で激しい怒り、9.ストレス関連性の妄想や重い解離(自分の行動の記憶をなくす。ひどいと多重人格となる)
尾崎の「シェリー」の歌詞には、BPDからの魂の叫びと呼ぶにふさわしい言葉が並ぶ。
焦って何もかも捨て、金か夢か分からない暮らしを続け、負け犬なんかではないと強がり、恨まれていないかおどおどし、愛される資格があるか不安におののく。
「シェリー」を聴いたとき、それは中島みゆきの曲「あした」の歌詞に通じるものだと直感した。
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♪抱きしめれば2人はなお遠くなるみたい 許し合えば2人はなおわからなくなるみたいだ
ガラスならあなたの手の中で壊れたい ナイフならあなたを傷つけながら折れてしまいたい♪
もちろん、シンガーソングライターにとって、作品イコール人生とは限らない。中島みゆきが「あした」のようなBPD的な経験をしたのか、私は知らない。
一方、尾崎は1歳の時、母の病気で祖母にしばらく預けられ、祖母を母親と思うようになったころ、再度母のもとに戻った。つまり、二度「自分を守るもの」から離された経験が影響していると父健一は振り返っている。
精神分析では、心の傷を受けた年齢が若いほど、のちの精神疾患は重いものになるという考えがある。しかし、父の言う母子分離体験がどれほど尾崎の精神を蝕んだのか、本当に知る術はない。
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注意欠如多動症的気質も
尾崎のBPD的心性の背景には注意欠如多動症(ADHD)的気質のあることが、父の著書からうかがえる。
発達障害のなかで一番多いのが、ADHDだ。不注意と多動・衝動性が症状の中核で、芸能人やスポーツ選手にもよくみられる。
尾崎は水が苦手と書いたが、そのきっかけは子ども時分のこと。家族で温泉に出かけ、あとさき構わず湯船に飛び込んで溺れかかった。父は「前に進み過ぎるところがあったのかもしれません。私も引くことは教えませんでした」と振り返る(尾崎健一『天国の豊よ、思い出ありがとう』1994年、麻布台出版社刊)。
小学校では夏休みの宿題を放ったまま8月25日にハイキングにでかけたり、中学の時はシャツのしわが気になって、靴下をはくのを忘れて裸足に靴をはいて出かけたり、成人後、高山への里帰りで家族を乗せた車を運転、フルスピードで6時間突っ走ったりした。
それにしても、こうして精神科医の目から尾崎豊の“心の腑分け”を試みるとき、どこか腑に落ちないものを感じるのはなぜだろう。
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「苦しんだそのままが歌になっている」
尾崎の死後、兄の康はインタビューで「苦しんだそのままが歌になっています。全身全霊をこめて作っていました」と回顧する。
おそらく、尾崎のファンが100人いれば100通りの尾崎の姿がある。ファンはのたうち回りながら歌う尾崎に、自分たちの姿を映し鏡のように見出した。だからこそ、世代を超えて支持され、OZAKIは聴かれ続けてきたのではなかったか? 私の弟が言うように「尾崎以外の誰が尾崎の歌を歌っても、心に響かない」。
尾崎は学生時代、国語がよくできた。朗読もうまく、漢文が好きだった。その歌詞は、七五調を変調させたものと吉本隆明はみなした。父の短歌、母の俳句の血筋を思わせる。
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古代中国の書物『荘子』に出てくる話。
顔のない、のっぺらぼうの帝「渾沌」(こんとん)の恩義に報いるため、別の国の帝二人が相談した。人には七つの穴(目、鼻、耳、口)があり、それで見たり聞いたりする。二人は一日にひとつづつ、渾沌に穴を開けた。七日後に渾沌は、死んだ。
尾崎豊という「渾沌」を殺したのは、いったい誰だったのか──。
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