004 その冬の日の午前零時が過ぎて、ながい夜が明けていくまでの時間― 興奮をおびた歓声が、平河町の自由党本部にたえまなくあがりつづけた。 昭和24年1月23日衆議院総選挙の即日開票が、24日の午前零時から、NHKラジオで流されていた。アナウンサーがやや急きこんだ口調で、各選挙区にわたり、候補者の得票数を読みあげていくなかで、自由党候補の票の伸びは、予想外に目ざましいものがあった。 「当選確実」 「有力」 そう判定される候補は、ほとんどが自由党であった。即日開票区は農村地帯で、もともと自由党のつよい地盤ではあったにしても、この場合の票の伸び方には、異常なものがあった。 何人かの党役員、多数の事務局員たちがむらがっている部屋いっぱい、むんむんと勝利の熱気が充満していたとしても、無理はなかった。いつも笑いをみせない幹事長の広川弘禅も、さすがにまるだしの田舎弁に喜色を溢れさせていた。 「この分でいきゃあ、圧勝だよな」 自由党候補の当確が、ラジオで報道されるたびに、事務局員が壁に貼られた候補者名簿のところに飛んでいって、その名の上におおきな赤い丸をつけた。拍手と歓声とが湧きあがった。 戸川猪佐武2017/12/08 21:00
005 夜がすっかり白んだ午前7時には、 「山口二区 佐藤栄作 当選確実」 「広島二区 池田勇人 当選確実」 「京都二区 前尾繁三郎 当選確実」 自由党の当確は、早くも百名を上回っていた。逆に、犬養健の民主党はせいぜい二十数名、片山哲の社会党は二十名に達しないありさまであった。 その同じ放送を、目黒の外相官邸のサロンで聞きながら、オートミールと果物の朝食をとる吉田茂首相の面上から、笑いが終始去らなかった。 ― 決して負けるとは思っていなかった。それでも過半数は無理といわれていた。が、この調子なら、大丈夫いける。 党本部からは30分おきぐらいに、広川幹事長からの電話があった。彼は、ラジオ放送よりも先走った多い目の当選見込み数を吉田に伝えてきた。そのたびに「大勝です」「圧勝です」といい添えた。吉田は、 ― 広川の奴、この勝利は、幹事長たる自分のメリットだと、さかんに売り込みおる。 広川の抜け目ない心底を見抜きながらも、決して不愉快ではなかった。広川の功績を認めるゆとりができていた。財界関係の友人からの祝いの電話にも、吉田は上機嫌で応対した。 戸川猪佐武2017/12/08 22:00
006 「いや、まだ油断はならんよ」と、彼は笑いながらいった。 「いままでの発表は、全部、嘘かも知れん。報道関係という奴は、なにしろ嘘をいうからね」 いかにもジャーナリスト嫌いらしい冗談を飛ばして、いっそう高らかに笑った。 最終的に、開票の結果が確定したのは、その日の午後4時ごろであった。 自由党264、民主党69、社会党49、共産党35、国協党14、労農党7、社会革新党5、諸派1、無所属12。 おどろくことに自由党は、いっきょに百議席を増して、過半数の234名を突き抜けたのである。 社会党、民主党の大敗は、片山、芦田と二代にわたる連立内閣が、総司令部民政局追随の色彩が濃かった上に、経済政策上の失敗をおかし、昭電疑獄をひき起こしたことにあった。もっとも民主、社会党のいわゆる中道政治に対する批判、総司令部への反感は、極左の票も増大させた。共産党35名という意外な数字が、このことを告げていた。 このときの総選挙で、保守支持票の七割が右寄りの自由党、革新支持票の三割が左寄りの共産党という配分であったことは、そのときの日本政治が、左右の激突に向かっていく兆候でもあった。 戸川猪佐武2017/12/08 23:00
007 >>000 どの国でも保守・ナショナリスト・ネトウヨが出て来るのは底辺層。 なんの特別な技能もなく学歴も無く糞みたいな職しかない人間は、最後のよりどころが国家。だって単にその国・その民族に生まれただけで自分が優れた特別な存在であると言ってくれるから 匿名さん2017/12/08 23:061
008 それにしても、一月早々ほとんどの新聞が、「自由党は過半数に至らず、社会、民主、国協党の連合勢力が過半数を制し、吉田自由党内閣は総辞職、ふたたび社、民、国三党連立内閣の公算大」などと組み立てていた予想― そのころにはむしろ、常識的な観測とさえ思われていた予測は、がらがらと音高く崩れ去ったのである。 敗れ去った政党のみじめさは、社会党委員長、元首相片山哲の落選に象徴されていた。西尾末広、野溝勝、加藤勘十など元閣僚の党幹部も多く落ちて、さきの総選挙で第一党をとったことが、槿花一朝の夢と化した形になった。 民主党もまた、楢橋渡、一松定吉、竹田儀一など党首脳の多くが議席を失って、桜田町の党本部は声もなかった。 その民主党総裁の犬養健が、目黒の官邸に電話してきたのは、この日がすっかり暮れ切った夕刻であった。 「総理……早い機会に、是非、お目にかかりたいのですが……」 その声も、湿っぽく沈んでいた。 「いいとも……」 そう答えながらも、吉田は犬養の心情を読んでいた。 戸川猪佐武2017/12/09 17:00
009 ― 選挙前、犬養と会って、選挙のあと、自由、民主両党が、保守連立政権を組むことを約束した。自由党が過半数に至らないと思われたからだ。 その場合、首班指名をかちとることも危うい。それを得たとしても、吉田内閣は少数党内閣で、国会運営も思うに任せず、短命におわる懸念があったからだ。 いま自由党が過半数を制してみれば、単独内閣が可能で、政局の安定も、長期政権も期せられる。理屈からいえば、もはや民主党との連立は必要ない。 しかし、犬養は、あくまで約束どおり、連立内閣を希望しているようだ。連立して、与党にならないかぎり、民主党そのものの存続がむつかしいと、彼は弱気になって、思い悩んでいるにちがいない……。 そうした犬養健の二代目的なひよわさが、吉田にはかえって可愛らしいものに思えていた。 ― つまらん意地だてや、負け惜しみがなくていい。かならず自分は、選挙前の約束どおり、民主党と連立する。過半数を制したからといって、いまさら約束を破棄することは、政治的な道義にもとる。 戸川猪佐武2017/12/09 21:00
010 ということの他に、 ― 健君は、古島一雄が立派な政治家に育てあげてくれと、自分に託してきた男だ。吉田学校の一員に加えて友誼に応えなければなるまい。 そうした思いも、つよく吉田の内がわにはたらいていた。 そのときの電話で、吉田は犬養と、夜7時、新橋の「山川」で会う約束をした。もちろん、極秘のことであった。だが、民主党との連立反対、単独内閣という党内の声が、吉田のもとにもたらされたのは、それよりも早かった。大勝祝いと称して、幣原喜重郎が外相官邸にあらわれたのは、6時であった。 「民主党との連立は、感心できない」と、幣原はかなりきつい語調で反対した。 幣原は外交官としては、吉田の一期先輩である。民政党内閣で、幣原外相、吉田次官の時期もあった。幣原が吉田に向かって先輩らしい口をきくことも吉田としては、ある程度は、許容しないわけにはいかない。が、やはりいまの場合、吉田は不快だった。 「選挙前に、犬養君と約束したことだ。いまさら反古にするつもりはない」 「しかしだ、林譲治君でもいい、広川弘禅君でもいい、じかに訊ねてみたまえ。党内は、過半数をとった以上、単独内閣という声が圧倒的につよい。 戸川猪佐武2017/12/09 22:00