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白鳩の部屋(白・ω・鳩)-3
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白鳩会
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11月25日午前11時半ごろ、警視庁からの連絡で、市ヶ谷の自衛隊東部方面総監部に暴漢数名が乱入して自衛官の陸佐が負傷したという報告があった。
その後この乱入者は、作家三島由紀夫の率いる「楯の会」の五人で、三島は総監益田兼利陸将を人質に、隊員(実際は後方要員だった)の集合を強要し、そこで「再軍備をすべき憲法改正が、いまや国民に忘れられてしまった。キミらは、何とも思わないのか」と約十分間アジ演説を行い、その後割腹自殺をしたと連絡してくる。佐藤は三島とは旧知の仲で、公邸に招いて食事を共にしたこともあり、よく知っていただけにびっくりする。
その後詳報を得て、三島の割腹と介錯が行われたことを聞き、気が狂ったのではないかとさえ考えた。佐藤の知っている三島由紀夫は礼儀正しく、親孝行な常識人であった。憂国の士ではあったが、よもやこうした直接行動に出るとは思いも及ばぬことだった。保利官房長官は「天才と狂気は紙一重というけれど、狂気の部分が出たんでしょうね」と評した。何とも理解出来ぬハラキリ事件であった。益田総監は臨時国会終了の12月18日、三島事件の責任をとって辞任する。
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11月25日午前11時半ごろ、警視庁からの連絡で、市ヶ谷の自衛隊東部方面総監部に暴漢数名が乱入して自衛官の陸佐が負傷したという報告があった。
その後この乱入者は、作家三島由紀夫の率いる「楯の会」の五人で、三島は総監益田兼利陸将を人質に、隊員(実際は後方要員だった)の集合を強要し、そこで「再軍備をすべき憲法改正が、いまや国民に忘れられてしまった。キミらは、何とも思わないのか」と約十分間アジ演説を行い、その後割腹自殺をしたと連絡してくる。佐藤は三島とは旧知の仲で、公邸に招いて食事を共にしたこともあり、よく知っていただけにびっくりする。
その後詳報を得て、三島の割腹と介錯が行われたことを聞き、気が狂ったのではないかとさえ考えた。佐藤の知っている三島由紀夫は礼儀正しく、親孝行な常識人であった。憂国の士ではあったが、よもやこうした直接行動に出るとは思いも及ばぬことだった。保利官房長官は「天才と狂気は紙一重というけれど、狂気の部分が出たんでしょうね」と評した。何とも理解出来ぬハラキリ事件であった。益田総監は臨時国会終了の12月18日、三島事件の責任をとって辞任する。
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暇人がまた荒らしてますwwwwこいつ日中も荒らしてたしwwww
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11月25日午前11時半ごろ、警視庁からの連絡で、市ヶ谷の自衛隊東部方面総監部に暴漢数名が乱入して自衛官の陸佐が負傷したという報告があった。
その後この乱入者は、作家三島由紀夫の率いる「楯の会」の五人で、三島は総監益田兼利陸将を人質に、隊員(実際は後方要員だった)の集合を強要し、そこで「再軍備をすべき憲法改正が、いまや国民に忘れられてしまった。キミらは、何とも思わないのか」と約十分間アジ演説を行い、その後割腹自殺をしたと連絡してくる。佐藤は三島とは旧知の仲で、公邸に招いて食事を共にしたこともあり、よく知っていただけにびっくりする。
その後詳報を得て、三島の割腹と介錯が行われたことを聞き、気が狂ったのではないかとさえ考えた。佐藤の知っている三島由紀夫は礼儀正しく、親孝行な常識人であった。憂国の士ではあったが、よもやこうした直接行動に出るとは思いも及ばぬことだった。保利官房長官は「天才と狂気は紙一重というけれど、狂気の部分が出たんでしょうね」と評した。何とも理解出来ぬハラキリ事件であった。益田総監は臨時国会終了の12月18日、三島事件の責任をとって辞任する。
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白鳩荒らされてるじょ((((;゜Д゜)))
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11月25日午前11時半ごろ、警視庁からの連絡で、市ヶ谷の自衛隊東部方面総監部に暴漢数名が乱入して自衛官の陸佐が負傷したという報告があった。
その後この乱入者は、作家三島由紀夫の率いる「楯の会」の五人で、三島は総監益田兼利陸将を人質に、隊員(実際は後方要員だった)の集合を強要し、そこで「再軍備をすべき憲法改正が、いまや国民に忘れられてしまった。キミらは、何とも思わないのか」と約十分間アジ演説を行い、その後割腹自殺をしたと連絡してくる。佐藤は三島とは旧知の仲で、公邸に招いて食事を共にしたこともあり、よく知っていただけにびっくりする。
その後詳報を得て、三島の割腹と介錯が行われたことを聞き、気が狂ったのではないかとさえ考えた。佐藤の知っている三島由紀夫は礼儀正しく、親孝行な常識人であった。憂国の士ではあったが、よもやこうした直接行動に出るとは思いも及ばぬことだった。保利官房長官は「天才と狂気は紙一重というけれど、狂気の部分が出たんでしょうね」と評した。何とも理解出来ぬハラキリ事件であった。益田総監は臨時国会終了の12月18日、三島事件の責任をとって辞任する。
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暮れも押しつまった12月28日、まだ前尾の秘書をやっていた安田が来て
「来年の1月から3月の間に前尾は宏池会会長をやめざるを得なくなる。元旦の日に、大平が前尾の家に表敬に来てくれればありがたいのだが」
といった。私は大平にこのことを取り次ぎ、大平は快く引き受けた。そのあと
「君はもっとおれのことを考えてほしい」
とつぶやくようにいった。
〈どういうことなのかな、大平のそばにいてくれ、ということか〉と思ったが、さほど気にもせず、しばらくして私はこれも忘れてしまった。
昭和46年の新春、荒川の金子先生と話をしていたら
「伊藤さんは大平さんを本当に総理にする、という願いを立てたらどうですか」といわれた。
「あの大平をですか?まず現状では無理じゃあないですか」
「あなたはすぐ捨ててしまう。だからいけない。一度あなたから願いを出されるとよい」
「それでは2月の初めにお届けします」
どうして金子先生がこういうことをいい出したのか、私にもよく判らない。何年かあとになって、先生自身「どうしてあんなことをいったのだろうか」と打ち明けてくれた。まして、私自身には思い当たるものは何もなかった。
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暮れも押しつまった12月28日、まだ前尾の秘書をやっていた安田が来て
「来年の1月から3月の間に前尾は宏池会会長をやめざるを得なくなる。元旦の日に、大平が前尾の家に表敬に来てくれればありがたいのだが」
といった。私は大平にこのことを取り次ぎ、大平は快く引き受けた。そのあと
「君はもっとおれのことを考えてほしい」
とつぶやくようにいった。
〈どういうことなのかな、大平のそばにいてくれ、ということか〉と思ったが、さほど気にもせず、しばらくして私はこれも忘れてしまった。
昭和46年の新春、荒川の金子先生と話をしていたら
「伊藤さんは大平さんを本当に総理にする、という願いを立てたらどうですか」といわれた。
「あの大平をですか?まず現状では無理じゃあないですか」
「あなたはすぐ捨ててしまう。だからいけない。一度あなたから願いを出されるとよい」
「それでは2月の初めにお届けします」
どうして金子先生がこういうことをいい出したのか、私にもよく判らない。何年かあとになって、先生自身「どうしてあんなことをいったのだろうか」と打ち明けてくれた。まして、私自身には思い当たるものは何もなかった。
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