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(・ω・)←八王子のキンタマと戯れるスレ
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ここでやれキンタマ!
571
(・ω・)さんは「時間」とはなんだと思いますか?
そもそも「時」とはなんだと思いますか?
572
>>571
そんな難しいこと聞かれてもわかんないですけどね。猫とか犬とか時間を気にしてなさそうじゃないですか。時とか時間はあるとして。あるんでしょうね。ある気がする。産まれて死んだりするから時間はたってるんでしょうとは思いますよ。
でも、ほら、猫とか犬は産まれて死んでとか気にしてなさそうじゃないですか。ごはんの時間とかも。お腹すくともらいに来るけど。
時間を気にしてるのは人間だけなんじゃないかな。時間は人間の認識にあると思うのです。いっときますけど、時と時間は現象としてあると思いますよ。でも細かく時間を認識してるのは人間の意識によると思うのです。
なんでそんなことになってるかっていうと社会が成立したからじゃないかなあ。区切らないと不便ですからね。
朝が来るから明るくなって、夜が来るから暗くなる。そんな生活だと社会は発展しないわけです。いつまでも狩猟採集生活してるわけじゃないですからね。どうゆうわけか文化発展した。
573
発展すれば発展するほど細かい時間が必要になったんですよ。江戸時代なんな午の刻とか丑の刻ですよ。一刻が二時間と言われてますね。いま思えばアバウトです。戦国時代もそうかな。よくそんなので合戦やってたと思いますよ。集合時間、出陣時間がアバウトすぎるでしょ。現代戦は秒単位ですからね。時間認識は社会の発展で細かくなった。そんな感じですかね。
(・ω・)
574
>>572
時間と人の意識の関連、
時間と文明の発達の関連。
そこまで話が出てくるとは思わなかった。さすがですね。
後半の話は時刻や時計に関係していると思いました。
時計は紀元前4000年頃のエジプトで作られた日時計の発明が始まりだそうです。
文明の発展は時計に発明につながっている。あなたの言うように、文明と時間の確認とは関連があるということです。
575
面白いレスをしてくれたので、
では私が「時」と「時間」の話をしましょう。
「時」と「時間」はこのように区別されます。
時間とは、ある「時」とある「時」の「間」であり、それは経過の長さである。
昨日ググったらだいたいそんな感じのことが書いてあります。
間違ってはいませんが、これを書いている人は「時」と「時間」の本当の意味がぜんぜん分かっていません。
私が「時」とはなにかについてもう少しご説明しましょう。
576
そもそも時とは流れなのか。時は流れてるのか。おおきな問題があるんですよね。
時は人間の意識でしか認識できないわけです。そうすると時の流れは人間の意識の流れとなるわけで時間が流れてるとは言えません。
神はアルファでありオメガであるといいました。もしかしたら、時もアルファでありオメガであるかもしれないのです。時は始まりであり時は終わりであるかもしれない。流れてなんかない、時がある。これだけ。
昔、酔歩する男だったかな。そんな題名の短編SFを読みました。小林泰三さんですね。これが時間認識の話でしてね。時間は人間の認識であって脳の1部に時間認識をとどめる器官がある。だから時間は人間の意識に固定される。そんなことを発見した科学者がいた。実験としてその器官を破壊してしまうのです。
時は波動関数の集束であるというのです。集束したものを意識で固定したのが時間である。この器官を壊した科学者はですね。
577
「時間が流れる」とかよく言いますが、
「時間」は流れるものではありません。
「流れる」という表現に合わせて表現するなら「時間」が「流れ」そのものなのです。
「時間」を正しく表現するなら、
「時間」とは「時」の「移り変わり」です。
では、「時」とはなにか。「時」とは「事(こと)」であり「存在」であり「世界」です。
「時」も「事」も「ジ」とも読みます。これは偶然ではないと思います。
「時」=「事」です。
「あの時」=「あの事」です。
時は流れるのではなく移り変わるのです。
「時間」とは「事の移り変わり」であり、「存在の移り変わり」であり、「世界の移り変わり」です。
578
>>576
意識が広がってしまう、時にさらされる。そして波動関数が集束する、そのとき彼は子供だった。固定できないから、また、バラバラになる。波動関数が集束する、そのとき彼は老人だった。時間を固定する器官を破壊した科学者は永遠の時をさまよい続けている。そんなSFでした。
これは衝撃的な小説でしたね。作家って凄いなと思いましたよ。不安になりました。怖かった。
(・ω・)
579
>>576
いい線行ってると思います。
「時」(存在)は意識と関連している。
意識があるから「存在」がある。
唯物論歯「存在」(もの)は「意識」に先立つ、意識がなくても存在は先にあるとう考えで、これは現代の科学的世界観です。
一方、「意識」が先にあり「意識」があるから意識への現れとして「存在」がある、「意識」が「存在」よりも先だという考えが観念論です。観念論は今の科学的世界観の時代において分がわるい状況かもしれません。
私の考えは「意識」あるいは「存在」のどちらかが先にあるというより、「意識」と「存在」は「同時」だと思います。
「意識」があるから「存在」があるという考えである点では観念論の考え方と同じです。
580
>>579
おかしな誤字がありました
唯物論歯→唯物論は
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