126 では、信念の人にお前の言ってることはおかいしいよと言って意味があるのか?ありません。信念の人は道徳的信念で行動しています。正義です。道徳的に正しい。間違ってるのはお前らだとなってます。 こうなるとですね。社会全体が信じている道徳的信念VS信念の人が信じている道徳的信念になってしまう。信念と信念の戦い。不毛な戦いになってしまいます。決着しないです。どっちも信念は変えないですからね。 で、困るのがですね。強固な信念を持つ人は説得力があったり、自信満々ですからファンがつくんです。おかしな信念が伝染してしまう。言い方が悪いですけど感染源です。 新型コロナワクチンは毒だよ。と自信満々でインテリアが言ってるとファンがつく。新型コロナは毒だよと思う人が増えてしまいます。 (・ω・) 匿名さん2023/09/09 00:292
127 >>126 なるほどね。 それが信念の本当の恐ろしさというわけだ。 信念の本当の恐ろしさを実に上手く表現しましたね。 それは宗教の恐ろしさと同様のものですね。 強度の信念の持ち主はたとえ小さな庶民であっても恐ろしい。ましてや権威者、権力者となるとなおさら。 匿名さん2023/09/09 00:46
128 >>126 自信満々でインテリが言ってるとです。誤字がありました。 以下、続き。 ここに不幸が生まれるんですよ。ある女性の話を読みました。 新型コロナ毒説を信じてしまった。友人や親戚、配偶者、両親にワクチンは毒よ。説得して回った。友人や親戚、両親が離れて行った。嫌われた。なんかのきっかけでコロナワクチンは毒じゃないと思いなおした。間違ってたと気がついた。 気づいたときには遅かった。友達いないし、身内からは切られてるし、離婚の危機にもなっていた。 こうならないためには誰かがなにかを言ってるときは、まるっとまるごと信じない。それはどうなんだと立ち止まって考える。情報の裏取りをする。どのような立場でなにを目的に言ってるのか探る。この人は、なぜ、こうゆうことを言うんだろうと考えてみる。自分の好みの意見だけではなく反対意見も聞いてみることなどが必要。 自分の思ってることも疑う。俺の言ってること俺の思ってることは間違っていないのか?俺は、なぜ、そう思うようになったのか?俺が思うようになったきっかけが情報であるのなら、その情報は正しかったのか?自分も疑う習慣を持つことです。 (・ω・) 匿名さん2023/09/09 00:461