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自由民主党 | 自民党 (政党総合スレ)-4
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・悪い総理大臣を最も多く出した政党
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強調した「内閣総理大臣」の肩書きのワケ
こうした声に対し、松野博一官房長官は11月20日の記者会見で「公明党の創立者である池田氏に個人として哀悼の意を表するため、首相個人のSNSアカウントで弔意を示した」と説明する。だが、岸田氏が自ら「内閣総理大臣」と記した点を踏まえれば、池田氏を特別扱いしたことは間違いないだろう。
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首相は11月10日に細田博之前衆院議長が死去した際にもXに「細田博之前衆議院議長のご逝去の報に接し、心から哀悼の誠をささげます。これまで官房長官、自民党幹事長などの要職を歴任され、この約2年間は衆議院議長として、国会の運営に力を尽くしていただきました。どうか安らかにお休みになっていただきたいと思います」とつづっている。だが、そこに「内閣総理大臣」の文字はないのだ。
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では、なぜ岸田首相は批判が出ることも気にせず「内閣総理大臣」と記したのか。岸田氏は元々、公明党・学会とは一定の距離を置いてきたことで知られる。初当選した1993年衆院選の旧広島1区で公明党の斉藤鉄夫氏と戦い、小選挙区制移行後もしばらく公明党から推薦を受けることはなかった。
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公明党に追いやられてきた岸田首相
祖父も父親も衆院議員を務めた3世議員には、選挙に強かったゆえに必要性がなかったとも言えるが、その距離は岸田氏が要職を重ねていっても埋まってはいない。
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思い出されるのは、岸田氏が安倍晋三政権時代の自民党政調会長として新型コロナウイルス対策に汗をかいていた時のことだ。岸田氏は政策責任者として困窮世帯に30万円を給付する支援策をとりまとめたが、公明党は「一律10万円現金給付」プランで押し切った。
有力な「ポスト安倍」候補として注目を浴びる中、自民党内で求心力が危ぶまれた苦い経験は岸田氏にとって忘れられないものだろう。2021年の首相就任直後にも18歳以下に対する給付策をめぐり公明党に方針撤回を迫られたことがある。1999年から続く連立関係とはいえ、首相の心中には「なぜ公明党は俺に厳しいのか」「いつも足を引っ張られている」との思いがあったはずだ。
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岸田氏が絶大な信頼を寄せる自民党の麻生太郎副総裁も「公明嫌い」で知られる。9月の講演では岸田政権下で閣議決定された安全保障関連3文書をめぐり、公明党幹部や創価学会が「ガンだった」と名指しで批判した。
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10年間隠してきた死亡を今頃発表する創価学会の犯罪
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ちゃんと頭がまわってない、岸田体制の自民党執行部
岸田氏が党幹事長に起用し続ける茂木敏充氏は公明党の石井啓一幹事長と折り合いが悪く、次期衆院選をめぐる候補者調整が難航。5月には石井氏から「東京での自公の信頼関係は地に落ちた」と決別宣言が飛び出すまでに関係が悪化した。
麻生氏の“失言癖”は別としても、幹事長間の交渉に首相の意向が影響していたのは当然だろう。麻生、茂木両氏が首相と共通するのは、公明党・学会の集票力に頼らなくても選挙で勝ち続けてきた自負がある点だ。
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自民党ベテラン議員の1人は「自分たちは選挙で公明・学会の世話になっていないという思いが強いため、連立相手を軽視する姿勢が目立ってきた。本当ならば執行部は選挙に弱い自民党議員たちのことも考えないとマズいんだけど、そこまで頭が回らないんだよな」と苦言を呈す。
かつては大島理森元幹事長や二階俊博元幹事長、菅義偉前首相といった公明・学会とのパイプが太い自民議員が中心となり、良好な自公関係が維持されてきた。創価学会を中心とする公明支持層は1つの小選挙区で2万票前後あるとされ、それが自民党候補者に入るかどうかは多くの議員の当落を左右するからだ。近年の国政選挙での比例得票数は減少傾向にあるものの、いまだ集票マシンとしての存在感は群を抜いている。
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政権支持率は民主党の菅直人政権末期(15%)以来の低水準
だが、連立相手と距離を置く岸田政権の「3頭体制」ではコミュニケーション不足から不必要な亀裂を招いてきた。ある自民党幹部は「公明党は与党で居続けることに価値を見出している。憲法改正や安保などで強引に進めても最後はついてくる『下駄の雪』だ。岸田首相の本音もそこにあったはず」と解説する。つまり、首相が模索してきた早期の衆院解散・総選挙さえ実施できれば、「地に落ちた」と言われるまで悪化した関係も一気に修復できるとの読みがあったのは間違いない。
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