170 沢村英治は「酒井優子」という女性と昭和16年に結婚している。 ところが一部文献では「米井良子」という名前だったりとはっきりしていない。 景浦將は、昭和18年に結婚したという記録が一部文献に記述されている。 しかし妻の名前などは書かれておらず、結婚についての記載もわずか数行。 これらに関しては、当時の職業野球選手の地位が低かった事が原因。 当時は学生野球のほうが主流でプロ野球の人気は高くなかった。 プロ野球選手は旅の芝居一座などと同一視され、かなり蔑視されていた。 (そのため古い文献では名前を書いていないものが多い。) また記述によれば、沢村の妻・優子は東京女子大学を卒業した才媛で資産家の令嬢。 身分違いの交際だった事から結婚に優子の両親が猛反対していた。 (こういった事情からか結婚の事実はあまり公にはされていない模様。) 匿名さん2015/06/11 22:281
171 普段は無口な人柄であったが、1944年に娘が誕生した際には、大喜びしてはしゃぎまわった。その数ヶ月後、妻へ宛てられた最期の手紙には「生きて帰れたらいい父親になる。」と書かれていたという。一人娘は現在愛媛県の八幡浜市に在住。 匿名さん2015/06/11 23:13
172 京都商業学校卒業後には慶應義塾大学への推薦入学がほぼ決まっていたが、正力松太郎が強引に口説いて同校を中退させて巨人入りさせた。正力は「一生面倒をみる」とまで言ったという。しかし、巨人は戦地から負傷して帰った沢村を解雇し、約束は守られなかった。また、3度も召集を受けたのは学歴が中等学校中退であったからという説をとれば、中等学校を中退しての巨人入りは沢村のその後の運命を左右してしまったと言える。沢村は巨人から解雇を告げられた際、さすがに気落ちし、父親に「大投手などと煽てられていい気になっていた、わしがアホやったんや」と語ったが、自分を責めるだけで正力や巨人に対する恨みごとは言わず、入営時には笑顔を見せていたという。また沢村の父親である賢治氏は、戦後のインタビューで「栄治は中等学校中退だから。もし卒業していたら、慶大に行っていたらこんなに何度も(召集が)こなかった。すべては私のせいです」と涙ながらに繰り返したという。 匿名さん2015/06/11 23:181
175 読売グループは、スタルヒンを大リーグ戦(当時は、大日本野球倶楽部時代)のメンバーに、本人の許可なしに入れた。その読売新聞上でその発表があると、甲子園を期待する地元が反発。しかし、読売はあきらめない。度重なる裏工作で、スタルヒンは国籍問題という名目で、退学させらてしまう。そして、発足した巨人軍に入らざるおえない状況に追いやられてしまう。読売は言った(正確ではないが、趣旨は同じ)。「お前の身元引取り人は辞退した(圧力をかけて辞退させたのである。)おまえは、巨人に入るしかない。入ったら、引取り人になってやる。断れば、強制送還でロシアで処刑。おまえら一家の命は、無いぞ!巨人に入れば、支度金1000円、月給120円で、野球ができなくなっても、一生面倒を見てやる。それどころか、服役中のお前の父を減刑にしてやる。」 と脅した。ヤクザもおそれる脅迫である。一番驚くべきは、父親の減刑―司法権を操れたことである。この時、正力は右翼の大物・頭山満や旭川警察も関与したと言われる。つまり、裏世界の黒幕と組み、警察もこれに協力したのである。 匿名さん2015/06/13 04:32