172 京都商業学校卒業後には慶應義塾大学への推薦入学がほぼ決まっていたが、正力松太郎が強引に口説いて同校を中退させて巨人入りさせた。正力は「一生面倒をみる」とまで言ったという。しかし、巨人は戦地から負傷して帰った沢村を解雇し、約束は守られなかった。また、3度も召集を受けたのは学歴が中等学校中退であったからという説をとれば、中等学校を中退しての巨人入りは沢村のその後の運命を左右してしまったと言える。沢村は巨人から解雇を告げられた際、さすがに気落ちし、父親に「大投手などと煽てられていい気になっていた、わしがアホやったんや」と語ったが、自分を責めるだけで正力や巨人に対する恨みごとは言わず、入営時には笑顔を見せていたという。また沢村の父親である賢治氏は、戦後のインタビューで「栄治は中等学校中退だから。もし卒業していたら、慶大に行っていたらこんなに何度も(召集が)こなかった。すべては私のせいです」と涙ながらに繰り返したという。 匿名さん2015/06/11 23:181