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【巨人】88 原辰徳(*´-`)
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☆1958・7・22生
☆181a88`
☆右投右打
☆神奈川県出身
☆東海大相模高─東海大─巨人(80年1位)(*´-`)
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由伸の次の巨人監督は斉藤だってよ。
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巨人は片岡治大内野手(34)が今季限りで引退し、来季は栄光の背番号「8」が空き番になる可能性が出てきた。
王貞治の「1」、長嶋茂雄の「3」は永久欠番になっており、今や巨人で憧れの番号は「8」だといっていいだろう。しかし若手は伸び悩み、「8」をつけるような選手が見当たらない由々しき事態となっている。
エイトマンの後継者にふさわしいのは誰か? 現役時代に15年間つけた原辰徳氏(59)を直撃すると、「お〜、誰かのために取ってあるんじゃないの?」と意味深発言。そこで本紙記者が「原さんですか?」と突っ込みを入れると、「バカ!」と一蹴されたが、監督としても「3」を背負った長嶋氏のように、原氏が監督として復帰し「8」をつけることを願っている野球ファンは多いはずだ。
最近は巨人・高橋由伸監督の「24」、阪神・金本知憲監督の「6」、ロッテ・井口資仁新監督の「6」など、現役時代の番号をそのままつけるケースが多いが、原氏も仁志敏久氏が横浜(現DeNA)に移籍した2006年オフ、当時つけていた「88」から「8」に替えるチャンスがあった。
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ところが、当時は原氏が「背番号が空いてない。そんな余裕はなかった」と説明するように、実績のある選手が多くて若い番号が足りず、オリックスから移籍してきた谷佳知に譲っている。
これまで計13人が背負い、戦後は1950年に1年間だけ空白があったが、以降は67年間必ず誰かがつけてきた。V9時代の高田繁、原、仁志と続いたが、その後は谷、14年に西武からFA移籍した片岡と“外様”の番号となっている。
後継者について原氏は「そんなこと言える立場じゃないですよ。(鹿取)GMに聞いてよ。まぁ、素晴らしい選手がつけてくれるはずですよ」と期待したが、本当に空き番になるようなことがあれば、巨人のスター不足を象徴する出来事といえる。
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>>740
グータッチ渚ってコテ入れとけチョンコロ自演魔アゴリン永田www
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大の巨人ファンで知られる平尾さんに、原氏は「先生、タツノリです」といつもの呼び方で弔辞を読み始めた。「太陽のように明るく希望にあふれた方。私もこういう人でありたいと思ってきました」と恩人に語りかけた。
1980年のドラフトで原氏が巨人に1位指名されてからの付き合い。自宅に招かれ一緒にオーディオルームでレコードを聴くこともあった。「先生がスッと立ち上がり、『この音は違う』と機材を操作し、『そう、これでいい』と納得されました。やはりプロは違う、すごいこだわりがあるんだなと、プロ野球選手として生きていく私に、プロフェッショナルの真の姿を教えてくださいました」と思い出を語った。
82年にはシングル「どこまでも愛」、アルバム「サムシング」で楽曲の提供を受けた。自身の結婚式も平尾さんにプロデュースしてもらい、巨人の指揮官となってからも交流は続いた。チームが不調のときも、苦言を呈されたことはなかった。「長嶋(茂雄)さん同様、引きずらない人。『周りはいろいろ言うけどね…』といつでも前向きだった」と懐かしく振り返った。
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葬儀では、スタジアムジャンパーや日本シリーズの面会票など、巨人グッズ数点が飾られた。「試合を見るときは、ジャイアンツの当時のマネジャーだった山崎(弘美)さん、そして私の父(原貢さん)と私を評論しながら見てくださいましたね。今頃3人は天国で『辰徳はユニホーム着てないな、何をしてるんだ』と話していることでしょう」と原氏。「少し休んでエネルギーを蓄えておりますが、野球への情熱は健在です。そのときはまた応援してください」と、再びユニホームに袖を通す決意も明かした。
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巨人前監督の原辰徳さん(59)らプロ野球OBが、当地で行われた「ペルー日系人協会設立100周年記念JICA(国際協力機構)野球教室」で、ペルーの子供たち110人を指導した。
またとないプロ野球OBによる野球教室とあって、リマ市内のラ・ウニオン総合運動場野球場に集まった在ペルー日系人を含む子供たちは目を輝かせてボールを追った。今回、指導にあたったのは少年少女を対象にした野球教室「ファンケル キッズベースボール」(主催・報知新聞社)で総監督を務める原さん、講師の駒田徳広さん(55)、宮本和知さん(53)=ともに元巨人=、西山秀二さん(50)=元広島=、久保文雄さん(54)=元大洋=の5人。19日早朝、20時間近い空の旅をへて着いたばかりだったが、疲れも見せずに動き回った。キャッチボール、走塁、守備、打撃といった練習では、原さんは守備練習でグラブを手に自らゴロの捕り方を披露。打撃練習ではティー打撃で鋭い打球を外野に飛ばして子供たちを驚かせていた。
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技術だけではなく、元気な返事やあいさつで礼儀を身に付けることも今回の目的。原さんは子供たちに「分かったら、ハイと答えるように」と呼びかけたが、元気な返事が返ってきた。ペルーでは野球よりもサッカーの人気が高いが、原さんは「日本で教えている時と違和感はありませんでした。将来、巨人に入れそうな選手が5人いました」とレベルの高さを実感。現地で生まれ育った加川海斗君は「基本を教えてくれて分かりやすかったです」と感激していた。また、社会貢献を目的に用具不足の国や地域の子供たちに寄贈するため「ファンケル キッズベースボール」で回収されたバット、グラブなどの用具が子供たちに贈られた。
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巨人前監督の原辰徳さん(59)らプロ野球OBが、当地のリマ日本人学校を訪問し、野球教室を開催した。
同校に通う小学校から中学校までの課程に学ぶ生徒38人による「ふるさと」の合唱で歓迎された原さんは「リマに来て、皆さんと遊ぼうということでやってきました」とあいさつ。
原さんとともに少年少女を対象にした野球教室「ファンケル キッズベースボール」(主催・報知新聞社)で講師を務める駒田徳広さん(55)宮本和知さん(53)=ともに元巨人=、西山秀二さん(50)=元広島=、久保文雄さん(54)=元横浜大洋=の指導のもと、素手でも安心して遊べるキャッチボール専用球「ゆうボール」でのボール遊びなどで生徒たちとふれ合った。
原さんは「君たちみたいな時があったことを思い出しました」と童心に帰って笑顔をみせていた。小学校5年生の玉城琉華さんは「今日教えてくれたことを忘れずにペルーで頑張っていきます」とあいさつ。同校の作野栄一校長は「ありがたいことです」と感激していた。
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