000
【巨人】88 原辰徳(*´-`)
+本文表示
☆1958・7・22生
☆181a88`
☆右投右打
☆神奈川県出身
☆東海大相模高─東海大─巨人(80年1位)(*´-`)
667
今季は「新成」をスローガンに掲げて日本一奪回を目指したが、レギュラーシーズンは75勝67敗1分けで2位。優勝したヤクルトに1・5ゲーム差及ばず、リーグ4連覇を逃した。最大の要因はリーグワーストのチーム打率2割4分3厘に終わった攻撃陣の不振で、シーズン通して得点力不足に苦しんだ。
阪神とのCS第1Sは2勝1敗で突破したが、最終Sは第2、3戦に2試合連続完封負け。14日の初戦の7回からこの日の4回まで25イニング連続無得点と最後まで貧打に苦しみ、屈辱的なシーズンが幕を閉じた。
原監督は2002年に巨人の監督に就任。1年目で日本一を達成したが03年に3位に終わって退任。2006年から再び就任し、10年連続で指揮を執った。通算12年の監督生活でリーグ優勝7度、3度の日本一に輝いた。
668
巨人・原辰徳監督(57)が17日、今季限りでの辞意を球団側に伝えた。この日、クライマックスシリーズ(CS)最終ステージ(S)第4戦のヤクルト戦(神宮)に敗れ、今季の全日程が終了。試合後に桃井恒和球団会長(68)が明らかにした。19日には読売新聞東京本社内で、渡辺恒雄取締役最高顧問(89)、白石興二郎オーナー(69)らと話し合いの場が持たれる予定だが、原監督の意思は固く、このまま勇退となる見込みだ。
夢は途絶えた。力及ばず、CS敗退が決まった。原監督は左翼へと足を運び、巨人ファンが待つレフトスタンドに向かって3度、頭を下げた。「1年間応援してくれたファンの方に、『こういう結果になって残念だったけど、最後まで応援してくれてありがとうございました』と言いたい」。こう言い残し、クラブハウスへと消えた。
669
ここから事態は一気に動いた。試合終了から約20分後、桃井球団会長が神宮球場内で取材に応じ、原監督が今季限りでの辞意を球団側に伝えたことを明かした。「監督から、辞任の申し出があった。(白石)オーナーにも伝えました。オーナーは『直接会って、自分で監督の気持ちを聞きたい』ということで、月曜日に読売に来てもらって、今後のことを相談したいと」と説明した。現状は球団が辞意を預かっている状態。19日に読売新聞東京本社内で、渡辺最高顧問ら球団首脳も同席の上で会談し、去就の結論を出す方針だ。
突然の辞意表明だった。原監督はリーグ4連覇を逃し、さらに日本一奪還の目標も達成できなかった責任を痛感しているという。また、桃井球団会長は「(監督を)10年やって新陳代謝が必要だと考えた、とも言っていた」と説明。今季で2年契約が満了する節目でもあり、ユニホームを脱ぐ意思を固めたようだ。
670
監督通算12年で7度のリーグ優勝、3度の日本一を達成。原監督は常に、ナインとの対話を重視し、チーム一丸をモットーにやってきた。1年ごとにチームの進化を求め、「だから常に新鮮な気持ちで臨める。チームは生きているからね」が口癖だった。だが、今シーズンはチームの軸に指名した阿部、村田、坂本、長野の不振が響いた。チーム打率はリーグワーストの2割4分3厘。しかし、近年にはないチーム状態でも、優勝したヤクルトとは最後まで競り合い、1・5ゲーム差の2位で終えたことを、球団側は高く評価していた。
19日に去就の最終結論が出るが、原監督の退団は避けられないだろう。球団側はこれまで、万が一に備えての後任候補を選定しておらず、一からのスタートとなる。外部からの招へいや内部昇格も含め、新監督を選考していくことになる。だが、巨人での監督在任期間としては、長嶋茂雄の15年、川上哲治の14年に次ぎ12年で歴代3位の名将だけに、後任探しは難しく、長期化は避けられないと見られる。じっくりと調査を重ねた上で、後継者にふさわしい人物を絞り込んでいくことになる。
671
◆原 辰徳(はら・たつのり)1958年7月22日、福岡県大牟田市生まれ。57歳。東海大相模高―東海大を経て、80年ドラフト1位で巨人入団。81年に新人王、83年は103打点で打点王とMVP。95年に現役引退。99年に野手総合コーチとして巨人復帰。ヘッドコーチを経て、02年に監督就任し、リーグ制覇、日本一。03年オフに退団し、06年に巨人監督に復帰。09年、第2回WBCで日本代表監督に就任し世界一に輝くと巨人でもリーグ3連覇、日本一。12年からは再びリーグ3連覇を果たした。181センチ、88キロ。右投右打。
672
原監督は、19日に東京・大手町の読売新聞東京本社内で球団首脳と最終会談に臨む。渡辺最高顧問、白石オーナーに直接辞意を伝える予定で、そのまま勇退となる見込み。その後、同社内で辞任会見を行い、監督通算12年間の思い出、ユニホームを脱ぐ決意を改めて報告する。
チームは17日のCS最終S第4戦でヤクルトに敗れ、日本シリーズ進出を逃した。指揮官は試合後、桃井球団会長に今季限りで辞任する意思を伝え、報道陣には「長きにわたって監督をやらせていただき、そろそろ潮時だなと。2016年度、ジャイアンツを新しい指導者にお任せしたい」などと明かしていた。
後任探しは長期化が予想される。この日、都内で取材に応じた球団幹部は、新監督について「まだ何も決まってないよ。すべては明日、原監督と話してからだから」と語った。原監督の去就は、今季の全日程が終了してから決める方針だったため、現段階では候補者探しをようやく始めたところだという。22日のドラフト会議は監督不在のまま臨むことが決まっており、11月上旬からの秋季キャンプも、序盤はコーチ陣だけで指導していく可能性もある。
673
日本ハムの栗山英樹監督(54)が18日、今季限りでの辞意を表明した巨人・原辰徳監督(57)との再戦を熱望した。
17日に続き、神宮球場での東京六大学野球2試合を視察。視察後に報道陣の取材に応じた指揮官は、お互いに監督として戦った12年の日本シリーズを振り返り、「先輩と戦わせてもらったことはすごく(思い出深い)。少なくとも戦わずして終わっていたら、すごく悔いが残っていたと思う。(日本シリーズで)負けたままなので、恩返しになっていない。またいつか、そういう時が来ると信じて」と願った。
栗山監督は中学3年時に当時甲子園のヒーローだった原辰徳監督に憧れ、東海大相模高の野球部のセレクションを受験。最終的に創価高に進んだが、東海大で臨時コーチを務めたこともある。「オレが中学生の時に初めて会って、それから約40年。監督の大変さ、長くやることの難しさ、いろんなことがあったと思う。オレはオレで長い間お世話になったし、いろんなことを感じました」と、尊敬する敵将の辞任を惜しんだ。
674
巨人・原辰徳監督(57)が19日、東京・大手町の読売新聞東京本社で球団首脳との最終会談に臨み、渡辺最高顧問、白石オーナーに直接、辞意を伝えた後、同社内で辞任会見を行った。
監督通算12年間の思い出や、現在の心境を吐露した。
675
巨人・原辰徳監督(57)が19日、東京・大手町の読売新聞東京本社内で渡辺最高顧問、白石オーナーら球団首脳との最終会談に臨み、辞任することが正式に決まった。その後、原監督は同社内での会見に、オレンジ色のネクタイを着用して臨み、「長きに渡り、応援してくれたファン、スタッフ、選手、みなさんに感謝する気持ちでいっぱいです」とすがすがしい表情で頭を下げた。
チームは17日のCS最終S第4戦(神宮)でヤクルトに敗れ、日本シリーズ進出を逃した。今季で2年契約満了の節目ということもあり、指揮官は試合後、桃井球団会長に今季限りで辞任する意思を伝えていた。監督通算12年で7度のリーグ優勝、3度の日本一を達成した名将が、ユニホームを脱ぐ。
676
◆原 辰徳(はら・たつのり)1958年7月22日、福岡県大牟田市生まれ。57歳。東海大相模高―東海大を経て、80年ドラフト1位で巨人入団。81年に新人王、83年は103打点で打点王とMVP。95年に現役引退。99年に野手総合コーチとして巨人復帰。ヘッドコーチを経て、02年に監督就任し、リーグ制覇、日本一。03年オフに退団し、06年に巨人監督に復帰。09年、第2回WBCで日本代表監督に就任し世界一に輝くと巨人でもリーグ3連覇、日本一。12年からは再びリーグ3連覇を果たした。181センチ、88キロ。右投右打。
※このスレッドのコメントはこれ以上投稿できません。