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【巨人】88 原辰徳(*´-`)
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☆1958・7・22生
☆181a88`
☆右投右打
☆神奈川県出身
☆東海大相模高─東海大─巨人(80年1位)(*´-`)
021
阪神の先発3枚は、メッセンジャー(右投手)、能見(左投手)、藤浪(右投手)が予想される。阿部は今季、メッセンジャーに対して7打数4安打の打率5割7分1厘、藤浪に対しても打率3割3分3厘をマーク。そして村田は、能見を8打数5安打とめった打ちにしている。本来なら2人そろって打線に座ることが理想ではあるが、ともに打率2割5分以下と苦しんでいる。得意分野専念で、打線活性化の起爆剤にすることが狙いだ。
試合に出続ける中で感覚を研ぎ澄ませてきた2人にとって、併用という起用法は初体験。それでも阿部が「気にしないで、まずは自分の仕事をしないといけない」と強調すれば、村田も「与えられたところでしっかりやる」と覚悟を口にした。オーダーが固まりきらないなら、臨機応変に組み替えればいい。変幻自在の“カメレオン打線”で、再び勢いを取り戻す。
022
相模★優勝しますよーに
023
清宮くんの夏が終わった。涙は流しても、「甲子園の土」は持ち帰らなかったという。「また戻って来るのでいらないっす」とのこと。
一方、「東京ドームの土」を持ち帰りかねなかった男もいる。内海、どうした。残り31試合。リベンジの機会は残されているのか。ポストシーズンも含めた戦いに、ベテランの経験は不可欠なのだが…。
というわけで、我らがジャイアンツ。記録的猛打で快勝のこの試合。それでもポイントは、4回途中の投手交代だったと思う。
3点を失ったとはいえ内海だ。復活に懸ける背番号26を、あえてイニングの途中で降板させることで、ナインに闘魂注入したのではないか。
無死満塁を0点で切り抜けたのは、もちろん結果論。けれど、サイコロを振らないと結果は出ない。「石橋をたたいても渡らない」といった風情の阪神ベンチとは、対照的だった。
原監督に影響を与えた指揮官は多い。その采配の所々に過去の名監督たちが顔を出す。
選手起用における厳しさと優しさは、藤田監督の影響だろう。言葉力とエンターテインメント性は、やはりミスター直系か。
024
清宮くんの夏が終わった。涙は流しても、「甲子園の土」は持ち帰らなかったという。「また戻って来るのでいらないっす」とのこと。
一方、「東京ドームの土」を持ち帰りかねなかった男もいる。内海、どうした。残り31試合。リベンジの機会は残されているのか。ポストシーズンも含めた戦いに、ベテランの経験は不可欠なのだが…。
というわけで、我らがジャイアンツ。記録的猛打で快勝のこの試合。それでもポイントは、4回途中の投手交代だったと思う。
3点を失ったとはいえ内海だ。復活に懸ける背番号26を、あえてイニングの途中で降板させることで、ナインに闘魂注入したのではないか。
無死満塁を0点で切り抜けたのは、もちろん結果論。けれど、サイコロを振らないと結果は出ない。「石橋をたたいても渡らない」といった風情の阪神ベンチとは、対照的だった。
原監督に影響を与えた指揮官は多い。その采配の所々に過去の名監督たちが顔を出す。
選手起用における厳しさと優しさは、藤田監督の影響だろう。言葉力とエンターテインメント性は、やはりミスター直系か。
025
それでも、最も色濃いのは、やはり父・貢さんからの教えだ。先輩記者によると、貢さんはこう語っていたという。
「劇的な逆転試合が多い? 相手にリードされると楽しいんだよ。『どうやってひっくり返してやろうか』ってね」
もし、敗れれば自力Vが「風前のともしび」となる一戦で、敢然と攻勢に転じる。その自信と執念は父から、そして甲子園から学んだことなのだろう。
日替わりオーダーに4番のバント。明日なき戦いじゃ当たり前。腹をくくった覚悟が違う、度胸が違う。そう、原辰徳は今でも高校野球を戦っている。
026
母校の優勝おめでとうございます
027
スレが長文!アホやろ。
028
巨人・原辰徳監督(57)が20日、母校・東海大相模の全国制覇を祝福した。昨年5月に亡くなった父・貢さんが率いた1970年以来の夏の頂点。
決勝は阪神戦(東京D)前の練習の合間にテレビ観戦した。「45年前(の決勝)もPL学園に10―6。100周年の大会で全国制覇できて、同じ点数だったというのも何かの縁。OBとしてこんなに感激なことはない。父は門馬監督を息子のようにかわいがっていたし、大変喜んでいると思う」と目尻を下げていた。
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巨人・原辰徳監督(57)が20日、母校・東海大相模の全国制覇を祝福した。昨年亡くなった父・貢さんが率いた70年以来の夏の頂点。決勝の試合時間は阪神戦(東京D)前の練習と重なったため、すべては観戦できなかったが、ゲームセットの瞬間はテレビで目に焼き付けた。
初優勝時、原監督はまだ小6。「45年前(の決勝)もPL学園に10―6。(高校野球)100年の大会で全国制覇できて、同じ点数だったというのも何かの縁。OBとしてこんなに感激なことはない。ありがとうございました」と満面の笑みで後輩たちをたたえた。
15日には、貢さんに授与された「育成功労賞」の授賞式に出席するため甲子園に足を運んだ。貢さんのまな弟子にあたる門馬監督が鍛えたチームは、決勝でも攻撃野球を貫いた。「父は『攻撃性では門馬君が自分を超えたな』と賛辞を贈っていると思う」と独特の言い回しでねぎらった。
030
最後まで“攻撃的”だった。原監督は9回無死一、二塁、ネクストバッターズサークルの立岡に歩み寄り、肩をガッと抱いた。思い切って行け! とでも言って活を入れたのだろう。立岡がヒットで満塁。坂本のサヨナラ打につながった。
7回2死三塁、鶴岡を迎えた場面では、自らマウンドに向かった。歩かせて、投手の藤浪、もしくは代打・狩野と勝負するのかなと思ったら、そのまま勝負させ、抑えた。8回のピンチでは福留を歩かせてゴメスと勝負。この時の虎ファンのブーイング、聞いたことないくらいのすさまじさ。そんな逆境をものともせず、菅野が渾身(こんしん)の三振斬り。どのシーンも、近づいたらやけどしそうだった。
試合前の指揮官。母校・東海大相模の日本一に、心底うれしそうだった。「門馬監督の攻撃的な野球は、父(故・貢さん)を継承しているね」と評したが“攻撃性”を一番継承しているのは、もちろん原監督。これを「東海魂」と言わずしてなんと呼ぶ。
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