000
【ペン専用】超新星★56
+本文表示
妬み嫉妬叩き合いはほどほどに〜
960
廖承志東京事務所の首相訪台非難声明については、外務、法務両省から、日中貿易の日本側窓口になっている高碕事務所に「声明を出した連絡員の呉曙東の行動は入国条件に著しく違反している」と口頭で警告した。しかも滞在期限の切れる呉連絡員の滞在期限を180日延長することを許可したのである。日本政府の態度は、力みかえって石を投げる相手に、やんわりと大人の応対をしたものだった。
台湾から帰国した佐藤は、息つく暇もなく一連の東南アジア訪問に出発する。訪問する相手国との間には、当面さしたる問題はなかったが、先方からみればわが国はすでに経済大国であり、それだけに日本国首相の訪問には、大きな期待と関心をもっていた。
佐藤は9月20日、最初の訪問国ビルマへ出発する。同行は寛子夫人のほか、根本龍太郎、中馬辰猪、赤沢正道、新谷寅三郎の四議員、それに大津、楠田、本野秘書官らに各新聞特派員を加えて35名であった。
所要時間六時間半、ラングーンのミンガラドン飛行場にはネ・ウィン革命評議会議長自らが出迎えた。ネ・ウィン議長は佐藤と車に同乗し、日の丸とビルマ国旗の波の中を宿舎まで送りとどけるという歓迎ぶりを示す。
961
廖承志東京事務所の首相訪台非難声明については、外務、法務両省から、日中貿易の日本側窓口になっている高碕事務所に「声明を出した連絡員の呉曙東の行動は入国条件に著しく違反している」と口頭で警告した。しかも滞在期限の切れる呉連絡員の滞在期限を180日延長することを許可したのである。日本政府の態度は、力みかえって石を投げる相手に、やんわりと大人の応対をしたものだった。
台湾から帰国した佐藤は、息つく暇もなく一連の東南アジア訪問に出発する。訪問する相手国との間には、当面さしたる問題はなかったが、先方からみればわが国はすでに経済大国であり、それだけに日本国首相の訪問には、大きな期待と関心をもっていた。
佐藤は9月20日、最初の訪問国ビルマへ出発する。同行は寛子夫人のほか、根本龍太郎、中馬辰猪、赤沢正道、新谷寅三郎の四議員、それに大津、楠田、本野秘書官らに各新聞特派員を加えて35名であった。
所要時間六時間半、ラングーンのミンガラドン飛行場にはネ・ウィン革命評議会議長自らが出迎えた。ネ・ウィン議長は佐藤と車に同乗し、日の丸とビルマ国旗の波の中を宿舎まで送りとどけるという歓迎ぶりを示す。
962
佐藤はこの後、ネ・ウィン議長を表敬訪問し、21日には午前、午後と二回にわたる会談を行う。ネ・ウィン議長との会談は、ベトナム戦争や中国共産党政府の戦略の分析、今後の出方などに対する意見の交換が主だった。ビルマには中国共産党の影響下にある少数民族の反乱問題があり、中共の動きには敏感だった。22日、共同コミュニケを発表して、首相一行は次の訪問国マレーシアへ向うが、わずか二泊三日の首相滞在中に示されたビルマ側の好意は、なみなみならぬものがあった。議長は日本大使館のレセプションや、佐藤がインヤレイク・ホテルで催した晩餐会に、夫人同伴で、しかもビルマ服の正装で顔を出すばかりでなく、佐藤の宿舎の警戒まで自分で指示するという気の遣い方だった。宿舎の前に大きな沼があり、中に小島があった。議長は万一小島の中に誰か隠れて、日本の首相に発砲でもしては一大事と、小島の木を全部切り払わせたということであった。マレーシア側の都合で、佐藤は22日早朝にミンガラドン空港を発つが、ネ・ウィン議長夫妻はわざわざ早起きして見送りに来る。ネ・ウィン夫人が別れを惜しみ、涙を拭いているのを見て、佐藤夫妻も胸を打たれる。
963
佐藤はこの後、ネ・ウィン議長を表敬訪問し、21日には午前、午後と二回にわたる会談を行う。ネ・ウィン議長との会談は、ベトナム戦争や中国共産党政府の戦略の分析、今後の出方などに対する意見の交換が主だった。ビルマには中国共産党の影響下にある少数民族の反乱問題があり、中共の動きには敏感だった。22日、共同コミュニケを発表して、首相一行は次の訪問国マレーシアへ向うが、わずか二泊三日の首相滞在中に示されたビルマ側の好意は、なみなみならぬものがあった。議長は日本大使館のレセプションや、佐藤がインヤレイク・ホテルで催した晩餐会に、夫人同伴で、しかもビルマ服の正装で顔を出すばかりでなく、佐藤の宿舎の警戒まで自分で指示するという気の遣い方だった。宿舎の前に大きな沼があり、中に小島があった。議長は万一小島の中に誰か隠れて、日本の首相に発砲でもしては一大事と、小島の木を全部切り払わせたということであった。マレーシア側の都合で、佐藤は22日早朝にミンガラドン空港を発つが、ネ・ウィン議長夫妻はわざわざ早起きして見送りに来る。ネ・ウィン夫人が別れを惜しみ、涙を拭いているのを見て、佐藤夫妻も胸を打たれる。
964
マレーシアの歓迎も盛大なものだった。イスマイル・ナシルジン国王からは、謁見の際、この国の最高勲章を授与される。23日のラーマン首相との会談はベトナム戦争問題から始められたが、会談中ラーマン首相の希望で、ラザク副首相も会談に参加する。佐藤はこの様子を見て、ラーマン首相の引退は意外に早いものになるかと感じている。この後、他の閣僚も交えた会合では、この国の主要産業であるゴムの価格下落について日本側から協力を得られないかと相談を受ける。アメリカの人工ゴムの進出が激しく、困っているという。佐藤からは戦時中の補償問題が解決したことに対して謝意を表し、今後の技術協力、留学生の受入れ、資本の自由化など、両国の協調について話した。昼の午餐会は日本側主催。食後、車を飛ばし、クアラルンプールから北上してカメロン高原へ向う。本野秘書官の熱心な推薦で一泊の日程を組んだが、車で四時間半の行程に佐藤はむかっ腹を立てる。どこまでもゴムの林が続く。佐藤は不機嫌であった。しかしこの日は山荘でぐっすり眠れて翌朝は気分爽快。高原のさわやかさはホテルの冷房よりずっと気分がいいと言い出すので、本野秘書官もやっとホッとする。
965
マレーシアの歓迎も盛大なものだった。イスマイル・ナシルジン国王からは、謁見の際、この国の最高勲章を授与される。23日のラーマン首相との会談はベトナム戦争問題から始められたが、会談中ラーマン首相の希望で、ラザク副首相も会談に参加する。佐藤はこの様子を見て、ラーマン首相の引退は意外に早いものになるかと感じている。この後、他の閣僚も交えた会合では、この国の主要産業であるゴムの価格下落について日本側から協力を得られないかと相談を受ける。アメリカの人工ゴムの進出が激しく、困っているという。佐藤からは戦時中の補償問題が解決したことに対して謝意を表し、今後の技術協力、留学生の受入れ、資本の自由化など、両国の協調について話した。昼の午餐会は日本側主催。食後、車を飛ばし、クアラルンプールから北上してカメロン高原へ向う。本野秘書官の熱心な推薦で一泊の日程を組んだが、車で四時間半の行程に佐藤はむかっ腹を立てる。どこまでもゴムの林が続く。佐藤は不機嫌であった。しかしこの日は山荘でぐっすり眠れて翌朝は気分爽快。高原のさわやかさはホテルの冷房よりずっと気分がいいと言い出すので、本野秘書官もやっとホッとする。
966
25日、クアラルンプール発、シンガポールへ向う。出発に際してはラーマン首相夫妻が、わざわざ迎賓館まで迎えに来て、佐藤と同乗して飛行場まで見送る。各国大公使、在留邦人も見送りにならぶ。
シンガポールまではわずか50分の飛行である。リー・クアン・ユー首相以下の盛大な出迎えを受ける。この国はマレーシアから独立したばかりで、佐藤首相は最初の国賓であった。リー新首相は活力にあふれ、いかにも若い国の指導者にふさわしく思えた。宿舎になった迎賓館は昔の英国総督官邸である。
佐藤は正午、政庁にリー首相を訪ね、一時間会談を持つ。議題は前の二国同様ベトナム、中国問題である。夜はリー首相招待の晩餐会、双方で勲章の交換があって宴会に入る。
翌9月26日は新工業地帯を見学する。石川島播磨の造船所、日本鋼管、ブリヂストンタイヤなどの合弁会社である。この国自慢の植物園も見物した。植物園では新しく開発した黄色の薔薇の新種にマダム・ヒロコと命名して夫人を喜ばせる。夕刻五時、リー首相夫妻の見送りを受けてバンコクへ向う。リー首相はその夜、英国経由で米国へ出発の予定であった。多忙な中をよく努めて佐藤を感激させる。
967
25日、クアラルンプール発、シンガポールへ向う。出発に際してはラーマン首相夫妻が、わざわざ迎賓館まで迎えに来て、佐藤と同乗して飛行場まで見送る。各国大公使、在留邦人も見送りにならぶ。
シンガポールまではわずか50分の飛行である。リー・クアン・ユー首相以下の盛大な出迎えを受ける。この国はマレーシアから独立したばかりで、佐藤首相は最初の国賓であった。リー新首相は活力にあふれ、いかにも若い国の指導者にふさわしく思えた。宿舎になった迎賓館は昔の英国総督官邸である。
佐藤は正午、政庁にリー首相を訪ね、一時間会談を持つ。議題は前の二国同様ベトナム、中国問題である。夜はリー首相招待の晩餐会、双方で勲章の交換があって宴会に入る。
翌9月26日は新工業地帯を見学する。石川島播磨の造船所、日本鋼管、ブリヂストンタイヤなどの合弁会社である。この国自慢の植物園も見物した。植物園では新しく開発した黄色の薔薇の新種にマダム・ヒロコと命名して夫人を喜ばせる。夕刻五時、リー首相夫妻の見送りを受けてバンコクへ向う。リー首相はその夜、英国経由で米国へ出発の予定であった。多忙な中をよく努めて佐藤を感激させる。
968
バンコクへは一時間半である。空港にはタノム首相以下の盛大な出迎えである。空港の行事は各国同様である。佐藤は宿舎で小憩の後、国母陛下と国王の叔母殿下のところへ記帳、ついでタノム首相のところへ挨拶に行く。
翌27日は早朝から、まず対仏戦勝記念碑への花輪捧呈、さらにバンコクのタマサート大学で名誉政治学博士の称号を受けるため授与式に出席する。佐藤はここでガウンを着て、簡単な演説をする。集まって来た学生たちは礼儀正しく、盛んに拍手をおくり口々におめでとうと喜んでくれる。
タノム首相や閣僚との会合では、やはりベトナムと中国問題が主要議題となったが、この国は米国の要請に応じてベトナムに出兵しているので、他の国々とは対応が違っていた。
タノム首相らは「もちろん早期和平を望むが、平和の樹立に当っては、中国とその共産主義の脅威が、将来にわたって除かれるという確約が必要である」という、困難だが明確な姿勢を持っていた。首相もベトナムで直接戦闘に参加して、その背後にある中国共産党の強い影響力を肌で感じているタイ国の主張は当然のことと受けとったが、ベトナム問題の解決の困難さを思い知らされた感じでもあった。
969
バンコクへは一時間半である。空港にはタノム首相以下の盛大な出迎えである。空港の行事は各国同様である。佐藤は宿舎で小憩の後、国母陛下と国王の叔母殿下のところへ記帳、ついでタノム首相のところへ挨拶に行く。
翌27日は早朝から、まず対仏戦勝記念碑への花輪捧呈、さらにバンコクのタマサート大学で名誉政治学博士の称号を受けるため授与式に出席する。佐藤はここでガウンを着て、簡単な演説をする。集まって来た学生たちは礼儀正しく、盛んに拍手をおくり口々におめでとうと喜んでくれる。
タノム首相や閣僚との会合では、やはりベトナムと中国問題が主要議題となったが、この国は米国の要請に応じてベトナムに出兵しているので、他の国々とは対応が違っていた。
タノム首相らは「もちろん早期和平を望むが、平和の樹立に当っては、中国とその共産主義の脅威が、将来にわたって除かれるという確約が必要である」という、困難だが明確な姿勢を持っていた。首相もベトナムで直接戦闘に参加して、その背後にある中国共産党の強い影響力を肌で感じているタイ国の主張は当然のことと受けとったが、ベトナム問題の解決の困難さを思い知らされた感じでもあった。
※このスレッドのコメントはこれ以上投稿できません。