000
【ペン専用】超新星★56
+本文表示
妬み嫉妬叩き合いはほどほどに〜
950
佐藤の台湾訪問には、自民党の松村一派に代表される中共派や野党の反対もあり、親中共グループのデモ隊が羽田に押しかけていた。北京の中共政府も、新華社などを通じて「佐藤首相の台湾訪問は、中国に対する重大な挑発行為である」と非難した。
台北松山空港には厳副総統、魏外交部長、張群秘書長ら、佐藤とは顔なじみの閣僚が出迎えている。儀仗兵の閲兵の後、日の丸を振る邦人の子供たちの出迎えに応え、宿舎円山大飯店に入る。
翌8日は、午前10時、忠霊塔に献花の後、引続いて今回訪台の最大行事である蒋介石総統との会談である。会談は総統府で約一時間半、内容は主として共産党支配の中国大陸情勢を中心にしたものであった。
蒋総統はまず米国の現状認識の甘さ懸念し「このままでは米国の世界政策は間違っていると言わざるを得ない」と口を切った。蒋総統の意見では、第一に米国の対中共政策が積極性に欠けること、第二にソ連に対する見方に問題があること、第三に現在の中国の混乱について認識が足らないこと、さらに国民の支持はすでに中共政府から離れていること、解放軍は昔日の統制力を失っていること等、米国の情勢判断には誤りがあると力説した。
951
佐藤の台湾訪問には、自民党の松村一派に代表される中共派や野党の反対もあり、親中共グループのデモ隊が羽田に押しかけていた。北京の中共政府も、新華社などを通じて「佐藤首相の台湾訪問は、中国に対する重大な挑発行為である」と非難した。
台北松山空港には厳副総統、魏外交部長、張群秘書長ら、佐藤とは顔なじみの閣僚が出迎えている。儀仗兵の閲兵の後、日の丸を振る邦人の子供たちの出迎えに応え、宿舎円山大飯店に入る。
翌8日は、午前10時、忠霊塔に献花の後、引続いて今回訪台の最大行事である蒋介石総統との会談である。会談は総統府で約一時間半、内容は主として共産党支配の中国大陸情勢を中心にしたものであった。
蒋総統はまず米国の現状認識の甘さ懸念し「このままでは米国の世界政策は間違っていると言わざるを得ない」と口を切った。蒋総統の意見では、第一に米国の対中共政策が積極性に欠けること、第二にソ連に対する見方に問題があること、第三に現在の中国の混乱について認識が足らないこと、さらに国民の支持はすでに中共政府から離れていること、解放軍は昔日の統制力を失っていること等、米国の情勢判断には誤りがあると力説した。
952
総統がとくに指摘する米国の誤りは「二つの中国論」であった。
「二つの中国論を展開するから、われわれの大陸反攻が世界大戦に発展するという議論が出てくる。一つの中国の中の内乱であれば、大陸反攻は内政の問題で、世界大戦に結びつかない。大陸反攻に米軍が介入することは、中国大陸の人民から反感を買う恐れがある。従ってわれわれは米軍の援助は求めないし、むしろ迷惑と考えている。ただし、ベトナム戦争で中共と北ベトナムを離間させることは、国民政府として大いに望むところであり、是非期待したい」などと発言する蒋総統は、中国が文化大革命で混乱している今日こそ、反攻の好機と考えている様子であった。
これに対し佐藤は「日本は中国問題に関して軍事的に介入することは不可能であり、またその意思も全くない」ことを日本国憲法の趣旨から表明し「しかし総統の考えていることは、渡米の際は米側によく説明しておく」ことを約束している。
昼食は張秘書長の設宴、夜は蒋総統の豪華な歓迎宴が迎賓館中山楼で開かれる。食後、佐藤と蒋総統は、午前の会議の続きを話し合っている。
953
総統がとくに指摘する米国の誤りは「二つの中国論」であった。
「二つの中国論を展開するから、われわれの大陸反攻が世界大戦に発展するという議論が出てくる。一つの中国の中の内乱であれば、大陸反攻は内政の問題で、世界大戦に結びつかない。大陸反攻に米軍が介入することは、中国大陸の人民から反感を買う恐れがある。従ってわれわれは米軍の援助は求めないし、むしろ迷惑と考えている。ただし、ベトナム戦争で中共と北ベトナムを離間させることは、国民政府として大いに望むところであり、是非期待したい」などと発言する蒋総統は、中国が文化大革命で混乱している今日こそ、反攻の好機と考えている様子であった。
これに対し佐藤は「日本は中国問題に関して軍事的に介入することは不可能であり、またその意思も全くない」ことを日本国憲法の趣旨から表明し「しかし総統の考えていることは、渡米の際は米側によく説明しておく」ことを約束している。
昼食は張秘書長の設宴、夜は蒋総統の豪華な歓迎宴が迎賓館中山楼で開かれる。食後、佐藤と蒋総統は、午前の会議の続きを話し合っている。
954
佐藤が確認した蒋総統の意見は
一、二つの中国論は誤り。
二、中国共産党の政府は認めない。大陸反攻は純然たる中国の内政問題で他国の関与すべきものではない。
三、現在の大混乱は大陸反攻の好機である。
という三点に集約された。
蒋総統との二回にわたる会談を終えた佐藤は翌日、故宮博物院を見物している。国民政府が大陸から台湾へ移るとき、北京、南京から国宝三十万点を運んだもので、三月毎に展示品を交換しても全部展示するのに二十五年はかかるという莫大な数である。佐藤が参観した日は白磁、青磁などの逸品が並び、陶磁器好きの佐藤を喜ばせた。佐藤のために特別に展示した宝物もあったが、時間が短く、ゆっくり参観出来ないのが残念だった。
帰国のため松山飛行場へ向う車中で、佐藤は魏外交部長に「総統からお話のあった点は米国へ行った時に詳細に伝えるが、慎重の上にも慎重に行動するよう総統に伝えて欲しい」と伝言して、大陸反攻の軍事行動を性急に起さぬよう要望している。同じ趣旨の要望は見送りに来た張秘書長にも伝えられ、同時に滞在中の厚遇に対する謝意と「この上とも健康に留意して長寿を全うするよう」蒋総統への伝言を頼んでいる。
955
佐藤が確認した蒋総統の意見は
一、二つの中国論は誤り。
二、中国共産党の政府は認めない。大陸反攻は純然たる中国の内政問題で他国の関与すべきものではない。
三、現在の大混乱は大陸反攻の好機である。
という三点に集約された。
蒋総統との二回にわたる会談を終えた佐藤は翌日、故宮博物院を見物している。国民政府が大陸から台湾へ移るとき、北京、南京から国宝三十万点を運んだもので、三月毎に展示品を交換しても全部展示するのに二十五年はかかるという莫大な数である。佐藤が参観した日は白磁、青磁などの逸品が並び、陶磁器好きの佐藤を喜ばせた。佐藤のために特別に展示した宝物もあったが、時間が短く、ゆっくり参観出来ないのが残念だった。
帰国のため松山飛行場へ向う車中で、佐藤は魏外交部長に「総統からお話のあった点は米国へ行った時に詳細に伝えるが、慎重の上にも慎重に行動するよう総統に伝えて欲しい」と伝言して、大陸反攻の軍事行動を性急に起さぬよう要望している。同じ趣旨の要望は見送りに来た張秘書長にも伝えられ、同時に滞在中の厚遇に対する謝意と「この上とも健康に留意して長寿を全うするよう」蒋総統への伝言を頼んでいる。
956
さて、自民党の一部や野党から強く反対された佐藤の台湾訪問は、ヤマ場の蒋総統会見においても懸念されたような中共敵視の国府ペースにふり回されるような事態は一切なかった。蒋総統の言い分は言い分として承ったが、日本側は日本側の立場を明確に伝えている。朝日新聞の社説も
「強烈な国府の反共路線にまきこまれることなく、わが国独自の立場は一応保ちえた。首相の労を多としたいと思う」と述べた。「一応」と区切ったところに朝日らしい限界はあったが、客観的にも今回の台湾訪問は成功であった。
だが北京政府は黙っていなかった。人民日報、新華社などの言論機関はこぞって佐藤内閣を非難し、貿易事務連絡のため東京に事務所を置く中日友好協会の廖承志までが、政治的行動はしないという入国の条件を無視して「首相訪台は、中国人民に敵対する挑発行為である」という抗議声明を出す始末であった。だが中共政府の次の手は、乱暴極まるものになった。
中共政府は9月10日、突然、北京在住の新聞特派員のうち毎日、サンケイ、西日本の三社の記者に退去命令を出したのである。
957
さて、自民党の一部や野党から強く反対された佐藤の台湾訪問は、ヤマ場の蒋総統会見においても懸念されたような中共敵視の国府ペースにふり回されるような事態は一切なかった。蒋総統の言い分は言い分として承ったが、日本側は日本側の立場を明確に伝えている。朝日新聞の社説も
「強烈な国府の反共路線にまきこまれることなく、わが国独自の立場は一応保ちえた。首相の労を多としたいと思う」と述べた。「一応」と区切ったところに朝日らしい限界はあったが、客観的にも今回の台湾訪問は成功であった。
だが北京政府は黙っていなかった。人民日報、新華社などの言論機関はこぞって佐藤内閣を非難し、貿易事務連絡のため東京に事務所を置く中日友好協会の廖承志までが、政治的行動はしないという入国の条件を無視して「首相訪台は、中国人民に敵対する挑発行為である」という抗議声明を出す始末であった。だが中共政府の次の手は、乱暴極まるものになった。
中共政府は9月10日、突然、北京在住の新聞特派員のうち毎日、サンケイ、西日本の三社の記者に退去命令を出したのである。
958
理由はこれらの新聞の、文化大革命など中国に関する報道が反中国的であり、佐藤政府の反共、反中国、反人民の犯罪行為に積極的に協力しているということであった。記事の内容が反中国的であるから追放ということ自体が言論弾圧であり、普通の民主国家ではこうした取り扱いはない。気に入らない記事を書いたから入国させないとか、追放するというのは、独裁国かこれに類する国のやることで、中国はその程度のものだった。佐藤が、北京政府と対立する国民政府を訪問したことに腹を立て、八当り的に、日ごろベタベタとごますり記事を書かない三社がねらい射ちされたのである。国外退去を免れた他の新聞社は、何が起きるかわからない中国のニュース・ソースと無事に密着を続けるため、さらに忠勤を励んで気に入られるような記事を書くことになるし、北京政府もそのような効果を期待した。共産主義国家の常套手段である。
佐藤も台湾から帰った翌日、北京政府から示された悪意に満ちた反応に驚いたが、とりたてて発言することもなく、木村官房長官の「冷静に事態を見守る」という談話を発表するだけに止めておいた。
959
理由はこれらの新聞の、文化大革命など中国に関する報道が反中国的であり、佐藤政府の反共、反中国、反人民の犯罪行為に積極的に協力しているということであった。記事の内容が反中国的であるから追放ということ自体が言論弾圧であり、普通の民主国家ではこうした取り扱いはない。気に入らない記事を書いたから入国させないとか、追放するというのは、独裁国かこれに類する国のやることで、中国はその程度のものだった。佐藤が、北京政府と対立する国民政府を訪問したことに腹を立て、八当り的に、日ごろベタベタとごますり記事を書かない三社がねらい射ちされたのである。国外退去を免れた他の新聞社は、何が起きるかわからない中国のニュース・ソースと無事に密着を続けるため、さらに忠勤を励んで気に入られるような記事を書くことになるし、北京政府もそのような効果を期待した。共産主義国家の常套手段である。
佐藤も台湾から帰った翌日、北京政府から示された悪意に満ちた反応に驚いたが、とりたてて発言することもなく、木村官房長官の「冷静に事態を見守る」という談話を発表するだけに止めておいた。
※このスレッドのコメントはこれ以上投稿できません。