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千葉 プリマドンナ-7
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不要不急とは?
コロナと共存するには?
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>>79
あっ、そうなの?、失礼しました。
前のコメでも同じ事をイメージしてたから!
ガンバ!
081
ゆなちゃんこの前ヴェロニカで呑んでたな
082
みきフーゾクでも働いてるらしいよ
083
>>82
店と源氏名は?
いい加減なコメすんなよ!
084
085
>>84
がんばってるふりとは?
信憑性に疑問を持っただけだけど笑
探られたくない?
なら、ハンパな書き込み誰も求めてないので!
086
心の底では自分の言っていること、やっていることがウソであると知っている。
しかしそれをウソと認めてしまえば、他人に対して自分の偉大さを認めさせることが出来なくなる。
他人に対して対抗意識があると実際の自分が認められなくなる。
087
実際には家庭の愛情が人生のすべてと感じているわけではない。
男として権力も欲しい、しかし自分には権力がない。
そこで自分の自尊の感情を高めようとして心の底で信じていない家庭の愛が人生のすべて、と主張する。
それが防衛的価値である。
彼らの生き方より、自分の生き方の方がよい、と思わないと自尊の感情が保てないので、彼らは彼らの生き方でいい、自分は自分でいいという感じ方が出来ないで、あの男はけしからん、くだらない、と人の生き方を素直に認めて無視することが出来ない。
防衛的価値で自尊の感情を守ろうとしている人は、自分の虚栄心を守ろうとするところから他人と関わり合っていく。
自分の劣等感から他人を必要としている場合と、愛情から他人を必要としている場合とは全く異なる。
088
依存心が強いということは、その人の中にはなにもない、ということである。
中がからっぽ。
それが依存心の強い人間である。
自分のなかが空虚だから、周囲の人間の気持ちの持ち方に要求が多くなる。
089
親の依存心が強いとき、子どもに残されたことは迎合しかない。
依存心の強い親は、周囲の人間が自分を受け入れることを求める。
しかし大人になった自分の幼児的依存心を受け入れてくれるのは自分より弱い立場の妻子くらいであろう。
大人になって幼児的依存心が強いという人間にとって、他人を愛するとか他人を受け入れるなどということは不可能である。
親に可愛がられたということに気をとらわれて、自分の気持ちを踏みにじられたということに最後まで気がつかない人もいる。
自分が実際に感じているように感じないで、親が期待するように感じていて可愛がられたと錯覚している。
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