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総理大臣で総裁である池田が、総裁という地位をはずされて総理をやめるというのであるなら、自民党内の内部事情で内閣がわかるということなってしまう。そういう実例がのこれば いずれは総理となる佐藤にマイナスの前例となるであろう。日本の民主政治にとってもプラスにはならぬ。かならず池田は勝たせてもらえるという信念であった。
私はだいたい二十票ぐらいの差で勝つだろうと見ていた。池田は絶対に四十票の差だと言った。「俺のほうが君より党内のことはよく知っているよ」と言ってきかない。池田の心には、ながい政党生活において知りあった人びとの顔がつぎつぎに浮かんでいたのであろう。
7月の8、9日となると混沌としてきた。物事はいつでもそうなるものなのかもしれぬ。池田は「佐藤がバカなことをするから 俺までつまらぬ目にあう。敗けたあとしこりをのこさぬというのは、いったいどういうことなのだ」と怒りをぶちまけた。
同じ高等学校を出、同じ吉田学校の卒業生として交わりもふかく、政歴もほとんど似た いわば弟分格の佐藤が手練手管のかぎりをつくして挑戦してきたのである。
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池田としてみれば「なんでお前、そんなバカなことをするんだ。そんなことに血道をあげるより、政権を担当するにふさわしい人格の持主になれ、そうすれば いつでも政権など譲ってやる」と言いたかったのだ。
しかし それは公人としては言ってはならぬことであった。
あす公選の投票という前夜、午前1時ごろ、新聞社の友人から私の家に電話がかかってきた。
「佐藤派はすっかり楽観ムードで充満している。勝ったと言っているのだが、どうか」
「大丈夫だと思うよ。俺はあまり細部は知らないのだが……」
「ブーチャンがいまごろ自宅にいるようでは安心だな」
20分ほどして、またかかってきた。
「佐藤派は忍者部隊を全員一ヵ所に集めてみた。その結果、勝算ありと言うのだ。君のところの足もとからも行った人があるそうだ。大丈夫か」と言う。
私は「この段階で、必勝の信念はそれ自体戦力なのだ。安心してください」と言って電話をきった。
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7月10日、臨時党大会の日となった。午前8時に信濃町の私邸を出る。
開票結果は、池田242、佐藤160、藤山72。池田は三選された。
242票は過半数を上まわること四票。二、三位の加算票にたいして十票差であった。
池田は「あぶなかったな」と帰りの車で言った。予想の四十票と現実の十票の差は、池田のにがさをさらにふかくするものであった。
信濃町の私邸に帰っても、池田はあまり気が晴れなかった。晩になって、大平と村山達雄代議士がきた。池田は、村山に言った。
「君は大平や黒金とすこしも遜色のない人物だ。りっぱにやれる。俺の時代はきょうで終わった。これからは、君や大平のような若い男の時代だ。二人とも力をあわせて、しっかりやってくれ」
まだ改造がのこっていた。公選後の改造はとくにむずかしい。二年前の教訓を思いだした。勝利者を支持した人びとと、それ以外の人びとの心理が画然とわかれ、池田三選を支持した人びとの人事にたいする要求がつよくなるからだ。
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もう後ろを振り向くことなく、大股に田中角栄は大会会場を抜け出した。待たせておいた車を築地の料亭に飛ばした。そこでは― 今朝早く、大磯から上京していた吉田茂が、田中を待ち受けている。
この老人は、困憊の色濃い田中の顔をみるなり
「骨折り、ご苦労だった」と屈託のない笑いをみせた。田中の滅入ったものを、引き立たせようとする努力だった。
「佐藤君はたしかに敗れた。が、ものは考えようだよ」と老人はまた、乾からびたような笑い声をあげた。
「二人のひらきが、わずか十票だった……ということは、よかった。これで佐藤君は、池田君についで第二位の実力者たる貫禄を内外に示したことになる。池田君も、このさき佐藤君の協力なくしては、総理の事業をなし得ないと悟ったろう。自分のあとは佐藤君以外にはないと識ったはずだ。これで二人の友情を取り戻すこと……これが大切だ」
「その辺については、老師のお手をわずらわしたい……と思います」
田中は、頭をふかくさげた。
その日はなぜか池田首相にとっては気だるく、長い午後であった。三選の宿望をとげた歓びが少しも胸の中に弾んではこなかった。
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多くの祝辞の電話が首相官邸の総理大臣室にかかってきた。そのうちのあるものは秘書官に任せないで、彼自身が受け
「有り難う……今後もよろしく」と答えながらも、三選成功の実感は乏しかった。
電話のなかに― 吉田茂からのそれも混じっていた。祝いの言葉というよりは、これからの心情をさとす忠告といったものであった。
「友情の上に立って佐藤君の力を認めてやりたまえ。彼と握手することだ。佐藤君にも友情の上に立って君に協力するよう、私から充分にいっておく」
「……よろしく願います」と池田の声は冴えなかった。なお、吉田が
「二人の間に壁をおいてはいかん」といったとき、池田はおとなしく
「承知しとります」と返事するだけであった。しんそこ諒解する気にも、かといって反発する気にもなれなかった。
― かろうじて十票差で勝ったことと、今後の政局のむつかしさが心理的につかえているせいか?あるいは親友と闘ったことのあと味のわるさか?
それ以上つきつめて考えるのが池田にはひどくわずらわしかった。
午後4時からの祝賀パーティは千数百人にのぼる人びとを政界、財界、言論界、地方有力者から集めて盛大をきわめた。
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河野建設相、三木武夫など、実力者がつぎつぎマイクの前に姿をあらわして祝辞を述べるたびに 拍手はとどろくように鳴りひびいた。
このホールの正面スポットライトがくっきりと丸く描き出す空間のなかに 池田は立たされていた。胸に飾った大きな菊の花の白さが鮮烈であった。終始にこやかな笑顔をつくりながらも なぜか池田の胸のなかは虚ろだった。何人ものあいつぐ祝辞は池田の耳をただ通過していったに過ぎなかった。
その池田の胸に、たった一つ残されたスピーチがあった。長老である松村謙三の祝辞だった。高齢であるために やや明瞭さは欠いてはいたが、松村は切々としゃべった。そのなかのひとこと―
「……一輪咲いても、花は花……であります」という言葉が池田の胸に沁みこんだ。
それは、たとえ十票の僅少差であっても 勝利は勝利であるという意味であった。そのわずかな差にいじけないで、咲いた花を美しく さらにみのらせるように 所信に邁進して欲しいと松村は続けた。
― 一輪でも花は花……おれは勝った。
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池田は新内閣の認証式を18日ときめて、三役と内閣の改造にとりかかった。三木幹事長がきまり、周東英雄政調会長、中村梅吉総務会長がきまる。自派以外から幹事長をとったのはこのときがはじめてである。鈴木官房長官も内定した。河野、旧大野、川島、三木、池田の主流五派で改造人事案が打ち合わされる。
7月18日の改造の日、午後3時ごろ「こんどは閣僚名簿をつくらなかったな」と池田はポツリと言う。私はびっくりした。池田の胸中には、まだ改造の成案が固まっていないのだ。
さっそく人事案を考えようとした。二枚、三枚……。池田は気に入らない。そこへ鈴木官房長官が、川島副総裁、三木幹事長、前尾前幹事長の考えた人事の原案をもってきた。総理は一目見て「これでは内閣はもたない」と言った。荒船清十郎、久野忠治らの名が見えた。年功序列の順番人事であった。
……あんな顔ぶれの内閣をつくったら、一日でつぶれる。
「もう少し新閣僚のスケールを大きくしましょうや」
修正がはじまった。椎名を外相にすることは、前夜、前尾が電話で池田に推薦していた。
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旧大野派は、村上勇と船田中が代表して首相官邸に閣僚の推薦に出向いた。船田はほとんど黙ったままで、村上がひとりで交渉した。
「旧大野派からは川野芳満君の入閣をお願いします。池田派では宮崎県の小山長規君が入閣するそうですが、川野君も宮崎県です。大臣が二人も出たとなったら、宮崎県には提灯行列ができますよ」
池田は無表情に「次は?」と聞いた。
村上が「総理、次って、私の話は聞いていただけているのでしょうな」と抗議すると
「次ですよ、次」
「次は徳安実蔵君です。これはあなたの内閣で総務長官を務めたので言うことはないと思いますが」
「あっ、それはいただきます。もう一人は神田博君(元厚相)にさせていただきますよ」
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池田の肚はきまった。4時ごろから党四役と官房長官が池田を中心に協議し、5時半には改造人事のいっさいが決定した。鈴木官房長官が私を呼んで、閣僚名簿を渡しながら「伊藤さんから個人個人に電話をしてください。しかし いますぐやると あんまりすんなりしすぎるので、30分ほどしてからにしましょう。もめたという印象も大事ですから」と言った。
三木幹事長が「伊藤君、これに何点つけるかね」と言う。「60点でしょうか」と答えると、池田が「なぜだ」と言った。「高橋等氏がなぜ法務大臣なのか、なぜ黒金氏が入閣しなかったか、新聞記者は疑問に思います」と私は答えた。池田は会議の席からスッとたって、私を総理室の一隅に呼び「官房長官をやっていて入閣しなかった先例を調べてくれ」と言った。
私はすぐ調べに走った。あった。岸内閣のとき椎名官房長官が閣僚となっていない。しかし このときは岸内閣が総辞職しているから、椎名氏が入閣しないのは当然のことだ。それ以外はなかった。
私はこのことを池田につたえた。池田は「そうか……。しかしやっぱり高橋にしよう。黒金にはわるいが……」と言った。
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第三次池田改造内閣は7月18日に発足した。
首相― 池田勇人、法相― 高橋等、外相― 椎名悦三郎、蔵相― 田中角栄(留任)、文相・科学技術庁長官― 愛知揆一、厚相― 神田博、農相― 赤城宗徳(留任)、通産相― 桜内義雄、運輸相― 松浦周太郎、郵政相― 徳安実蔵、労相― 石田博英、建設相・首都圏整備委員長・近畿圏整備長官― 小山長規、自治相・国家公安委員長― 吉武恵市、行政管理庁・北海道開発庁長官― 増原恵吉、防衛庁長官― 小泉純也、経済企画庁長官― 高橋衛、五輪相― 河野一郎、官房長官― 鈴木善幸、総務長官― 臼井荘一
副総裁― 川島正次郎(川島派)、幹事長― 三木武夫(三木派)、総務会長― 中村梅吉(河野派)、政調会長― 周東英雄(池田派)
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