ボタンのかけ違いはあったかも知れないが、今は福田さん以外に候補者がいないじゃないですか」と食い下がった。保利先生は「福田、ああ、ダメだ」の繰り返しで、田中内閣の時の辞任劇を持ち出して「オレは福田の将来に二度と手を貸さないと決めたんだ。オレの目の黒いうちは絶対に総裁にはさせない」とまで言う。
だが私は「総理大臣の席を空席にしておいていいのか」と一週間、口説きに口説き、やっと「キミに任せる。白紙委任状を渡す」との言質を得た。「国民のために政治をやっているんで、あなたの感情のためにやっているんじゃない」などと、ずいぶん思い切ったことも言ったが、保利先生の座右銘である「百術一誠に如かず」を地でいった気持ちだった。
そこで私は福田さんに「すぐ目黒の保利先生の家に行ってほしい。謝るべきところは謝って、手を握らないと、あなたの時代は来ませんよ」と、和解を求めた。福田さんは「どうもありがとう」と言う。だがその後も一向に行ったという話が聞こえて来ない。福田さんに「何をしているんですか」とまた促すが、「敷居が高くてね」とか何とか言って腰を上げない。

三回目には私も怒って「人の言うことをまともに聞けない性格なら、私はもうあなたを相手にしない。行くのか、行かないのか」とさんざん悪態をついた。それで福田さんもようやく出かけた。しばらくして「行ってよかった。ありがとう」と電話がきた。
保利先生が加わったことで、反三木陣営に背骨が通った。だが三木総理が退陣を表明するのは任期満了の師走の衆院選で自民党が過半数を割ってからである。総理大臣の座は強い。

【金丸 信】
衆議院山梨県全県区、当選６回。自民党佐藤派→田中派。ここまで郵政政務次官、建設大臣、国土庁長官、党国会対策委員長、筆頭副幹事長などを歴任。

8月19日、福田、大平、田中、椎名、船田、水田の各派は挙党体制確立協議会 (後の挙党協) を結成して大同団結し、三木派に対する包囲網を完成した。三木首相は中曽根と共に二派だけの孤立の状態に陥ってしまう。
一方、三原朝雄ら有志議員懇談会は党内から集めた両院議員総会招集の署名簿 (277名の多数) を中曽根幹事長ら党執行部に提出した。この有志議員の集団こそ福田副総理が大平に電話してきた議運族の集まりで、これらの人々が反三木に回れば国会対策はいわばストライキにあったように麻痺してしまう可能性があった。いよいよ三木降ろしが本格化することになる。
8月20日朝、私は瀬田に出かけてみると、大平と福田は盛んに電話で連絡し合っている。今日の大平はだいぶん元気だ。「三木総理が臨時国会を召集することにつき、協力を申し入れてきたらどうするか」が話の中心であった。
「国会は開くべきだ。この意見で対応するしかない」 (福田) 、「ともかく今日一日は様子を見よう。総理の出方を待とう」 (大平) などの会話が聞こえる。私は電話のやりとりで両者の認識を肚に入れることができた。

この日の夕方6時、佐藤孝行代議士 (中曽根派) が逮捕された。橋本登美三郎代議士 (田中派) にはまだ逮捕状は出ていない。これは数日後になった。
8月21日、福田副総理は三木総理と会談、「選挙前に退陣するよう三木に迫った」と新聞は伝えた。福田と三木との間の応酬内容は何も伝わってはこない。自民党は三日後の24日に両院議員総会を開き、ここで三木降ろしの決議を行う手はずであった。福田はこれを背景として三木に進退を迫った形になる。
22日の日曜日、例によって大平から電話で私は私邸によばれた。話はこの政局に臨む大平の出処進退だった。私は思い切って意見を述べた。
「あなたは縁の下で舞を舞うべきだ。幹事長として内閣の担い手になればいい。三木には花道を、福田には政権を、そして大平は党再建だ」
大平は私の言葉に何の抵抗も示さない。
8月の暑い日盛りで蝉の声が降るように聞こえてきたのを妙に覚えている。
「三木総理が自民党の議席を離れて無所属議員になる。こうなると三木総理は無所属の衆院議長と同じ立場だ。いってみれば、これで総理の中立化が図れないだろうか。こうなれば三木が選挙管理内閣として解散しても許されよう」

私がこういうと大平は
「各党が連立して挙国一致内閣が出来ないか。これが出来れば法案が処理できる。社会党への政権移譲も考えた。これで福田と相談する」
といい出す。こういった検討を繰り返している間に「新体制の下では大平が幹事長になる考え方が既定の事実」のようになっていった。
私は前日、斎藤明記者から「是非、福田と会ってほしい」という申し込みがあったのを思い出し、このとき大平に事前の了解を得ておいた。
斎藤の話によると、21日の三木・福田会談ではかなり突っ込んだ話になり「大福のうちどちらが頭になるか」と三木に突っ込まれ、福田は詰まってしまったらしい。「おれの退陣を求めるのなら政権の受け皿を作ってからにしろ」とつき放された形である。斎藤はこのことを述べ「私は最後の親孝行がしたい。この問題で福田と話してほしい」という。私は「大平を幹事長にしてもらえば協力しよう」といった。「それなら心強い」と斎藤がひどく喜んだ。こういう経緯があった。

「大平を幹事長に」と私がいったのは思いつきだけではない。当時、福田は既に政権を手中に収めたつもりになって、評論家の細川隆元に「幹事長は福田派ではとれまい」

肚の中を見せて相談をもちかけていた。このことを私は大平から知らされていたのだ。
大平と別れた私はその日の午後、斎藤記者と会うことになる。約束の時間は夕方4時だったが、福田副総理の都合で夜の7時、ついで9時と二度延期された。私は斎藤と246号線と環七の交差点で待ち合わせ、付近の喫茶店で時間を調整した。
福田邸の応接間に通される。案内役の斎藤記者も勢い同席せざるを得ない。そこへこの家の主人 福田赳夫が帰ってきた。
「三木・福田会談はどうでしたか」
「三木は解散をさせてくれ、といった。が出来ないと述べた。今のまま解散したら自民党は選挙で大敗する。臨時国会を開き9月20日頃までに法案を通し、ロッキードの中間報告をして総理をやめよ。『坊主になって出直す』、これが日本の慣習だ、と私は三木にいったのだ」
福田の話を受けて私は話し始めた。
「収拾策は判りました。私の気持ち (大福提携) は一番最初にお会いした時と一つも違っていません。ただ一つ願いがある。大平を幹事長にして頂きたい。大平への評価、福田派内の事情や挙党協内の経緯もあるかもしれないが、こうなるのが一番順当だと思います」

「いずれ党大会で総裁を公選しなければなるまい。大平は立候補しないだろう。選挙は一発で決まってしまう。解散や法案処理については大平とよく相談してほしい」
「願いだなんて……」
福田は私の言葉に困惑したような声でそういった。肚の中では判っているようだった。斎藤が事前に話したのかもしれない。
「三木派と中曽根派を包囲し 手も足も出ないように封じこめれば、三木や中曽根は怨念の固まりになるだろう」
私は暗に挙党協の強硬策に言及していった。
「これらの人々 (三木派、中曽根派の人々) にも道をつけてやるべきだ」
「解散阻止よりいい考えがあるのか」
「大平が考えている」
「それを話してくれ。話したっていいじゃないか」
「いや、これには私と大平との約束があるのだが……」
福田はどうしても聞かせよといってきかない。私はやむを得ず 三木首相が無所属になり党籍を離脱して解散する、という考え方を述べた。
「……総理・総裁分離案だな」
福田はそうつぶやいた。福田がどうして「分離案」といったのかすぐには判らなかった。
私のこの案は三木が独断で解散にふみ切った時でも、次の首班指名に三木を立候補させないための布石であった。

もし自民党の総裁として選挙に臨めば次の首班指名のとき三木は当然、首班指名候補者となるという大義名分が残るからだ。
福田は私の考えを理解したが全面的に了解はしなかったように思う。三木に解散させたくなかったし、 “政権を私議した” という批判を招きたくないと慎重に話題から外したのかもしれない。
「大平は蔦だ。蔦は大木に絡みついていなければ地を這うより外はない。大平に芯を与えるものは現在のところ、福田さん、あなたですよ」
私はこういいつつ〈なぜ私はここへ来て、こんなことを述べているのだろうか〉と呟くようにいった。事実、私は自分で自分が判らないような心境だった。
「今までブーちゃんは目がすわって、後ろに誰かがいるようだった。舌端火を吐くとでもいうか。しかし今夜は全く違う」
福田はそういったので私はびっくりして〈おれは何かに憑かれているのか〉と思った。6月下旬、これと同じようなことを私はある集会でやってしまい、危うく事件になりかかったのだが、あの異常状態がもう二ヵ月も続いているのだ。つい二日前も大平は「そうあまり雄弁になるなよ」と押さえた。私は「しまった」と心の中で舌うちした。

家に帰ってきてこの思いはいよいよ強くなる。「大平幹事長案は話す」つもりだったが、三木総理の党籍問題などは話すつもりはなかった。大平との約束にもかかわらず、これを福田に話したことが酷く気になってきた。私は必死で祈念した。
初めて御神前で私は小さくなった感じがした。いずれにせよこのことは大平に詫びなければ、何だか天地は許してくれないような気になった。一種の恐怖心に似た不安が襲ってきて、この日はよく寝られなかった。
翌朝の新聞を見ると「福田は三木に解散してはならぬ」と迫っている。私に福田が述べた通りだ。それを大平派は「福田は弱腰だ」と批判している。三木の側は「大平・福田の紳士協定はどうせ弱い。一本に絞り切れまい」とたかを括っている。そのような政局の渦の中で私は福田に決定的な決め手を与えてしまった。「えらいことをしてしまった」。私の心の中は後悔の念で一杯になった。
私は朝早く瀬田に赴き事情を述べて謝った。大平は「今朝、福田から電話があった。ブーちゃんと話した。今日、三木と会ったとき『大平と福田にまかせよ。悪いようにはしない』と話すつもりだ、といってきた」と事情を話してくれた。

私は「出すぎたことをしてしまった。これは私のすることではなかった」と深く頭をさげて改めてお詫びをした。
「君に心配をかけてすまなかった」
大平はそういってくれたので、私の心も少しは軽くなった。
私に大平はこういったのだが、心の中は複雑だったと思う。だいぶん後で聞かされたのだが「香川県の選挙民たちは公選に大平が立たなかったことに長い間不満であった」という。宏池会の幹部も私のこの行動を聞いたら、おそらく「何という下手な取引をしたのだ」といって激怒したことだろう。
大平はこの後
「昨夜、鈴木善幸が電話してきたので、おれは『いずれ挙党協とは話し合う。君たちの納得の行くようにするから心配するな。今日の大平派の総会には出席しない』といっておいた」
と私に語った。私は瀬田を出た後すぐ斎藤記者の家に電話をかけた。
「昨日のことは全部 大平に話した。出すぎたまねをしたと大平には心から詫びた。福田側で話の内容は洩らさないようにしてほしい。昨日のことは肚の底において、これからの判断の材料にして頂きたい。大平が同志をまとめるのに苦労するから」
と頼んだ。