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【巨人】88 原辰徳(*´-`)
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☆1958・7・22生
☆181a88`
☆右投右打
☆神奈川県出身
☆東海大相模高─東海大─巨人(80年1位)(*´-`)
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(第1期を)2年で退任した際(03年)、渡辺主筆から「必ずチャンスを与えるぞ。だからどういう形でも、外で勉強しておきなさい」と言われた。2年ののち、当時の滝鼻オーナーと今後の巨人はどうあるべきかという話をして、監督の要請を受けた。そのときに「一つだけお願いがあります。私は懸命にチームを守ります。主筆、オーナー、私をどうぞ守ってください。そのことがあれば何があっても、私は立ち向かっていきます」と言った。主筆は「分かった」と。その代わり、いつなんどき、辞めなさいと言われたときは「はい」と言って辞めます、という話から、第2期がスタートした。主筆始め、球団の皆さまには私を守っていただき、私はチームを守ることに専念できた。これは何にも代え難い感謝があり、恩義である。これは不変のものだ。
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一部報道に、私が急に監督を辞めると伝えて、球団も困っているのではないかという報道がある。私は誰にも負けない巨人愛を持っているつもりで、そこに至るまでには主筆にもオーナーにも意志は伝えてあった。そのときは答えはもらえず、まずは置かれている勝負に勝ちなさい、という後押しを受けて懸命に戦ってきたが、力足らずでこういう結果(CS最終Sで敗退)になった。
ヤクルトとの最終戦が終わり、桃井さんとも話をして、家に帰った。久しぶりに枕を高くしてグッスリ寝られた。女房とも久々に監督の立場ではなく、会話ができた。監督の仕事はやりがいのある楽しいもの、と常に前向きに思っていた。しかし、そのときに多少のプレッシャー、肩の荷が下りたのかな、と思った。
監督として12年、コーチとして3年、15年間にわたってチームを滞らせずに任務を終え、新しい監督に託せることは、感謝と同時に、私の中にも多少の満足感はある。81年というジャイアンツの歴史の中、たくさんのOBに支えられ、自分も前に進めることができた。それに対しては、先輩たちも「よくやった」と言ってくださっていると思う。
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ジャイアンツは常に前進している。いちOBとして、2016年度、新しい未来に向け、強く愛される球団になってくれることを応援することとし、任務を満了させていただきます。皆さんお世話になりました。ありがとうございました。
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「変化を嫌う人もいるからだ」―。ラグビー日本代表のヘッドコーチであるエディー・ジョーンズ氏は、意識改革の難しさを指摘している。
まったくもってその通り。事実、現状維持がモットーの私は、この数日間の「変化」についていけず「ふて寝」を決め込んでいた。
それでも「原辰徳のいちばん長い日」だけは見届けなければ。大手町の読売新聞ビル13階へ、重〜い足を運んだ。
でも、そこに待っていたのはいつもの光景。永遠に変わらない、あのさわやか過ぎて、ちょっぴり違和感もある笑顔だ。
どんな感情からも、怒りや憎悪、不満を心のフィルターで浄化する。甲子園のアイドルから今に至る40年以上の長い歳月で、身につけた技なのだろう。
そう言えば、あの時もそうだった。先月末、ヤクルトとの天王山に臨む直前、一部で…いや、こういう書き方は良くないな。日刊スポーツに「解任報道」が出た。
その日の会見で、「解任報道」に触れる記者は皆無。すると、指揮官自らが切り出した。「他に聞きたいことが、あるんじゃないの?」
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一人の記者が声を絞り出した。「山本昌の引退についてですが…」。原監督は「え〜っ、そっちぃ?」と、いつも以上に目を大きく見開いた。一同爆笑。とにかく明るいタツノリであった。
思えば、「覚悟」を初めて聞いたのは2014年の宮崎キャンプ。糸井重里さんとの対談で「監督の地位に恋々とはしていない」と明かした。
絶対有利と言われた戦力を擁しながら、マー君の前に屈した前年の日本シリーズ。指揮官としては、今季以上に「一つの時代の終わり」が身にしみたのだろう。
というわけで、来るべき時が来た。それだけのことなのかもしれない。それは分かっている。分かっているんだけれど…。
1981年、長嶋さんが解任された直後のシーズン。巨人戦の視聴率も下がると言われた。視聴率調査の仕組みを知らない田舎のボンクラは、家中のテレビをスイッチオン。援護したつもりだったから、滑稽ですね。
ただ、その時は気づかなかった。画面の中の一人のルーキーに、これほど胸躍らせ、落胆させられ、勇気づけられ、そして、さみしい思いをさせられるとは。まさに、おんぶに抱っこにグータッチの日々。
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本日の会見。原監督は現役引退時の「夢の続きがある」というコメントについて、「あの時は青春まっただ中だった」と振り返った。
原辰徳の青春は終わったのか。それじゃあオレはどうなる。♪あなたは、私の青春そのもの〜なんて口ずさんでみても、もう50歳過ぎちゃったんですけど。
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19日に退任会見を行った巨人・原辰徳監督(57)に、芸能界から感謝の声が上がった。フリーアナウンサー・徳光和夫さん(74)は全てを野球にささげた日々をねぎらった。
原監督はここ数年、ペナントレース中は気の休まる日は1日もなかったはず。常勝を求められながら、その中で楽に勝てた試合は多くはなかった。ストレスがたまるような毎日から解放されてホッとしたというのはあると思う。
原監督は選手1人1人を見て、どう生き抜いていくかを考え、良さを引きだして道しるべを授けていた。選手には「巨人というチームの1人として頑張れ」とは言うけど、原監督が育てていたのは実は「個人」であって、個人を育てて強力なジャイアンツとして成り立たせていた。その姿は、そこまで打ち込んで家庭は大丈夫なのかと思うくらいだった。
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監督としてのタイプを言えば、長嶋さんはシミュレーションをしてシナリオを書いてその通りに試合を進めていった。原さんはケース・バイ・ケースというか、瞬時、瞬時でシナリオを変える力があった。舞台の演出家で例えるなら、長嶋さんは井上ひさしさんみたいにきっちりと台本を書いたタイプ。原さんはその場その場で作っていく、つかこうへいさんのようなタイプだった。
オフシーズンに一緒にゴルフをすると「あのミスがなければ」と悔やむときもあった。原さんにとってゴルフは心労から離れて、精神のバランスを取るためにやっていたんだと思う。それくらいの心労があっただろう。原監督には「本当にありがとう」と言いたい。
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19日に退任会見を行った巨人・原辰徳監督(57)に、芸能界から感謝の声が上がった。爆笑問題の田中裕二(50)は名将との思い出を振り返った。
原監督には感謝の気持ちしかありません。「監督生活お疲れさまでした、いろいろな思い出をありがとうございます」と伝えたいです。
僕は、原監督が東海大相模高校で甲子園に出場していた頃から、ファン歴は40年近く。原監督の在任期間12年、全て春季キャンプに足を運びました。そこで恒例になった、監督とのトーク。その年の新外国人、移籍組、ドラフトなど新戦力について話をしてくれるんです。僕なんかにも「田中君ならどういうオーダー組みたい?」って。サービス精神旺盛で、気配り、気遣いの人です。
忘れられないのは2009年春、第2回WBCの日本代表監督として世界一に導いた直後のこと。表情、たたずまい、話し方、すべてが長嶋(茂雄)さんのようでオーラがすごかった。体の周りが光り輝いているような感覚を受けました。
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2012年4月から(TBS系スポーツ番組)「S☆1」の司会をやらせてもらっていますが、その年からリーグ3連覇。ファンもうらやむビールかけ会場で喜びを分かち合えたことは、うれしかった瞬間です。選手時代、ONからバトンを受け継ぎ、監督としても12年で7度のリーグ優勝、3度の日本一。王(貞治)さん、長嶋さんを抜いたと言ってもオーバーではないんじゃないかな。これからは思いっきりゴルフを楽しんでください。
原監督の功績を考えると、後任監督はプレッシャーがかかりますが、ファンとしては誰になっても大歓迎です。
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