868 益谷秀次(1888-1973) 1946年、外務政務次官 (首相兼外相 吉田茂) 1948年、建設大臣2期(60) 1950年、自由党総務会長(62) 1951年、副総理格国務大臣(63) 1952年、自由党総務会長(64) 1955年、衆議院議長(67) 1959年、自民党総務会長(71) 1959年、副総理・行政管理庁長官 (71)>>499 1960年、自民党幹事長(72) 匿名さん2022/08/02 19:07
869 林譲治(1889-1960) 1946年、内閣書記官長(57) >>47 1948年、副総理兼 厚生大臣2期(59) 1950年、副総理(61) 1951年、衆議院議長(62) 1952年、自由党幹事長(63) 《福永幹事長事件》 匿名さん2022/08/03 00:15
870 池田勇人(1899-1965) 1945年、大蔵省主税局長 1947年、大蔵次官 1949年、衆議院議員、大蔵大臣4期、兼通産大臣(49) 1950年、首相特使として渡米 1951年、サンフランシスコ講和条約調印 1952年、通産大臣兼経済審議庁長官(52)、中小企業発言に対し不信任案が可決され1ヶ月で辞任。 1953年、自由党政調会長(53) 1954年、自由党幹事長(54) 1956年、保守合同後の石橋内閣で大蔵大臣に復帰(57) 1958年、総選挙後の第二次岸内閣で防衛庁長官の椅子を提示されて断り、無任所国務大臣で入閣(58) 1959年、通産大臣(59) 1960年、第58代首相>>570、第59代首相 1963年、第60代首相 所得倍増、日韓交渉再開、OECD加盟、IMF東京総会、東京五輪 匿名さん2022/08/03 12:23
871 周東英雄(1898-81) 戦時中は商工省物価局長官、帝国油糧統制且ミ長などを歴任。 1946年、第一次吉田内閣では林書記官長の下で副書記官長(48)を務め、八面六臂の活躍で吉田の信用を得た。 1947年、衆議院議員(49) 1948年、第二次吉田内閣では農林大臣(50) 1950年、第三次吉田内閣では国務大臣・経済安定本部総務長官・中央経済調査庁長官・物価庁長官を3期(52)>>38 兼賠償庁長官 1951年、兼建設大臣、兼北海道開発庁長官 1952年、国務大臣・経済審議庁長官(54) 1960年、浅沼社会党書記長刺殺事件で引責辞任した山崎巌の後を受け、国家公安委員会委員長・自治大臣に就任(62) 1960年、農林大臣(62) 1964年、自民党政調会長(66) 匿名さん2022/08/04 12:14
872 大橋武夫(1904-81) 妻の父は浜口雄幸元首相。1949年、戦災復興院次長を経て民自党衆議院議員 1950年、法務総裁2期(45) 1951年、警察予備隊担当国務大臣(47) 警察予備隊令(設置)第二條 総理府の機関として警察予備隊を置く。 (任務)第三條 警察予備隊は、治安維持のため特別の必要がある場合において、内閣総理大臣の命を受け行動するものとする。 (組織)第五條 警察予備隊に、本部及び部隊その他所要の機関を置く。 【増原惠吉本部長官、林敬三総隊総監】 (内閣総理大臣の権限の代行)第九條 内閣総理大臣は、特に必要があると認める場合においては、この政令に基きその権限に属する事務を、他の国務大臣に行わせることができる。>>38 1962年、労働大臣(57) 1966年、運輸大臣(62) 匿名さん2022/08/05 03:30
873 橋本龍伍(1906-62) 内閣官房次長を経て1949年、民自党衆議院議員(42) 1951年、行政管理庁長官兼厚生大臣2期(45) 1958年、厚生大臣(52)。同年末、池田勇人無任所相、三木武夫経企庁長官、灘尾弘吉文相の非主流派三閣僚辞任があり、橋本厚相は文相臨時代理を兼ねることとなった。年明けに益谷秀次総務会長、世耕弘一経企庁長官、坂田道太厚相などの補充人事が行われ、橋本は文部大臣に転じた。>>479 匿名さん2022/08/05 17:53
874 小坂善太郎(1912-2000) 1946年、衆議院議員(34) 1947年、大蔵政務次官(35) 1950年、衆議院予算委員長(38) 1953年、労働大臣(41) 1954年、犬養法相に代わり国家警察を担当、初代国家公安委員会委員長を兼任(42) 1960年、外務大臣3期(48) >>828 1971年、自民党政調会長(59) 1972年、経済企画庁長官(60) 1976年、外務大臣(64) 匿名さん2022/08/07 11:44