221 >>217>>219 1月17日、中国共産党機関紙『人民日報』が、アジア大洋州労働組合会議での劉少奇の報告内容に沿う形でコミンフォルム批判を肯定し、革命において️⭕️議会闘争は補助手段にすぎないとする「日本人民解放の道」を発表。これを受けて所感派はコミンフォルムの論評について「積極的意義を認める」と️方針転換して️⭕️事態収拾を図るが、その後も文書による非難合戦や分派形成と党員除名の応酬が相次いだ。 6月6日、緊迫する朝鮮半島事情を受けて、GHQ指示のもとでレッドパージが始まり、徳田らは地下に潜伏。所感派によって組織された臨時中央指導部(臨中)は、6月22日に「分派主義者との闘争」を決議し、国際派との間で泥仕合が展開された。 地下に潜行した所感派の徳田と野坂は北京に亡命して北京機関を創設。地上に残った宮本ら国際派は所感派に対抗するため「日本共産党全国統一委員会」を結成した。 匿名さん2023/11/08 00:24