505 >>503 現在は護憲政党の旗を掲げているが、終戦直後に宮本顕治氏らを中心に独自の憲法草案を策定したことを明記。現行憲法にも反対していたことに関しては、「吉田(茂)首相は九条のもとで自衛権はないとの立場をとり、党は、これを日本の主権と独立を危うくするものと批判して、(現行憲法の)草案の採択に反対した」と説明した。 1950年代の武装闘争方針については、たもとを分かった徳田球一書記長らが主導したとの論を展開。「党の正式方針とは縁のないこれらの活動は、党への国民の信頼を深く傷つけ、日本の革命運動に大損害を与えた」と記した。また、昭和36(1961)年の党綱領決定を「党の歴史における画期的な転換点となり、党は、あらたな前進を開始することになった」と評した。 匿名さん2023/07/24 07:342
514 >>505 コミンフォルム(Коминформ) 正式名称は共産党・労働者党情報局 設立 1947年 設立者 ヨシフ・スターリン 「50年問題」 ソ連がコミンフォルム加盟政党への統制を強めるにつれて、1950年1月6日、機関紙『恒久平和のために、人民民主主義のために!』に発表した「日本の情勢について」で、米軍主体の占領軍を解放軍と規定して⭕平和革命を掲げた日本共産党の路線を誤りと指摘した。 当初日本共産党はこれをデマと見做し、1月8日に中央委員会・統制委員会連名で「党撹乱のデマを打ち破れ」と声明を出したが、これが事実であることが間もなくわかり、党に混乱が生じた。 徳田球一書記長ら党主流派はコミンフォルム批判に対し「日本の情勢を十分考慮していない」と反論する『「日本の情勢について」に関する所感』を1月12日に発表。 逆に⭕コミンフォルムに賛同する宮本顕治はこれに反発して「右翼日和見主義」などと徳田らを攻撃。 コミンフォルムの干渉のため日本共産党は徳田ら所感派、宮本ら国際派に内部分裂し、更にその後、党の武装方針を定めた51年綱領が打ち出された。 匿名さん2023/07/25 00:384
721 >>505>>503 共産党100年史 無謬性のドグマは放棄を 2023/8/13 05:00 共産党が党史「日本共産党の百年」を発表した。志位和夫委員長は発表に際し「平和、民主主義、人権、暮らしなどさまざまな面で国民の苦難を軽減し、日本の社会進歩に貢献し、世界史の本流に立って促進した」と自賛した。 だが、共産の歩みは胸を張れるものだろうか。今回の党史も、️🟥党にとって都合の悪い過去を「裏切り者」の行為として責任を回避した。無謬(むびゅう)性にこだわる内容と言わざるを得ない。 共産は昭和26年採択の綱領に基づき、武装闘争による革命、いわゆる暴力革命を追求した。今の共産は「党が分裂した時期の一方の側の行動」とするが、党トップの徳田球一書記長や、後に党議長を長く務めた野坂参三氏らが主導していた。 党史は「極左冒険主義の重大な誤り」として徳田、野坂両氏らに責任を押し付け、党は被害者であるかのような記述で占められている。武装闘争路線のもと「山村工作隊」などを組織して各地で破壊活動を行ったのは、それが分派の活動であろうがなかろうが、党の歴史として免責される道理はない。 匿名さん2023/08/13 15:411