
>>709
そして、玉木氏は「これからも労働組合は我々を支えてくれる大変大事な存在である」とした上で、自戒の念も込めて次のように語った。
「おんぶに、だっこに、肩車で、過度に依存してしまうと、本当に向き合わなければいけないそれ以外の多数の有権者、国民に向き合うことを怠ってしまう。若い議員には、そこばかり見ていると、🔻本当に広げていかなければいけない多くの国民の声が聞けないし、届かなくなるので、そこはきちんと考えてやろうと言っている」
さらに、玉木氏は約60年前のある政党の機関紙について言及した。
「1963年に総選挙があって、当時、池田勇人内閣で所得倍増計画の陰りが見えていた。物価高で、そのままいったら当時の社会党が大勝するだろうと言われていた選挙だったが、1議席減だった。その翌年1964年の1月1日の『社会新報』に、当時の書記長だった成田知巳さんが党の組織的欠陥と言って書いた」>>682
成田知巳氏は玉木氏と同じ香川県出身の政治家で、1947年の衆院選で初当選を果たし、日本社会党で委員長や政策審議会長などを歴任した。
そして、玉木氏は「これからも労働組合は我々を支えてくれる大変大事な存在である」とした上で、自戒の念も込めて次のように語った。
「おんぶに、だっこに、肩車で、過度に依存してしまうと、本当に向き合わなければいけないそれ以外の多数の有権者、国民に向き合うことを怠ってしまう。若い議員には、そこばかり見ていると、🔻本当に広げていかなければいけない多くの国民の声が聞けないし、届かなくなるので、そこはきちんと考えてやろうと言っている」
さらに、玉木氏は約60年前のある政党の機関紙について言及した。
「1963年に総選挙があって、当時、池田勇人内閣で所得倍増計画の陰りが見えていた。物価高で、そのままいったら当時の社会党が大勝するだろうと言われていた選挙だったが、1議席減だった。その翌年1964年の1月1日の『社会新報』に、当時の書記長だった成田知巳さんが党の組織的欠陥と言って書いた」>>682
成田知巳氏は玉木氏と同じ香川県出身の政治家で、1947年の衆院選で初当選を果たし、日本社会党で委員長や政策審議会長などを歴任した。
