
【都議選(練馬区)】「『誰にも言えない』を見捨てない東京へ」山口花都議候補が玉木代表と練馬駅で演説
2025.06.15
玉木雄一郎代表は15日、東京都議会議員選挙に党公認で立候補している山口花候補(練馬区)の応援に駆けつけ、練馬駅前で街頭演説を行った。
山口候補は鹿児島県鹿屋市で生まれ、大学進学を志して上京。「お金も頼れる家族もなかった。でも、自分の人生を自分の力で変えたかった」と自己紹介。働きながら学費を稼ぐ日々の中、旧国民民主党のYouTube番組での対談に出演したことをきっかけに、玉木代表と出会い、政治の世界に足を踏み入れる。「手取りが増えない。真面目に働いて納税しても生活は楽にならない。そんな矛盾を変えたいと思った」と訴えた。
https://kanto.hostlove.com/political_economy/20250227231848/i728
2025.06.15
玉木雄一郎代表は15日、東京都議会議員選挙に党公認で立候補している山口花候補(練馬区)の応援に駆けつけ、練馬駅前で街頭演説を行った。
山口候補は鹿児島県鹿屋市で生まれ、大学進学を志して上京。「お金も頼れる家族もなかった。でも、自分の人生を自分の力で変えたかった」と自己紹介。働きながら学費を稼ぐ日々の中、旧国民民主党のYouTube番組での対談に出演したことをきっかけに、玉木代表と出会い、政治の世界に足を踏み入れる。「手取りが増えない。真面目に働いて納税しても生活は楽にならない。そんな矛盾を変えたいと思った」と訴えた。
https://kanto.hostlove.com/political_economy/20250227231848/i728
019 への返信コメント(4件)

>>19
さらに「今の東京都議会は、裏金や不明瞭な支出の問題が山積している。都民の誰もが納める都民税の行き先を、しっかりチェックする役割を担いたい」としたうえで、「誰にも言えない苦しみに寄り添える政治を実現したい。『誰にも言えない』を見捨てない東京へ。私がその声を届ける存在になる」と力強く訴え、「皆さんの1票を山口花に託してもらい、未来へのエネルギーにしてほしい」と呼びかけた。
玉木代表は「出会ったころは、国会に衆議院と参議院があることも知らなかった彼女が、今では都政に挑もうとしている。その原動力は『誰もが夢を持てる社会にしたい』というまっすぐな信念だ」と紹介。
また、「都政には少子化対策、教育、エネルギー、災害への備えなど、国と都が一体となって取り組むべきテーマが山積している」とした上で、「国民民主党のような『対決より解決』の姿勢で現実的な政策を提案できる政党が都政には必要だ」と訴えた。「山口花が秘書として党職員としていてくれたことが、国民民主党が若者や現役世代の声に本気で耳を傾ける政党へと進化する原動力になった」とも述べ、「なんとしても都政に送ってほしい」と演説を締め括った。
さらに「今の東京都議会は、裏金や不明瞭な支出の問題が山積している。都民の誰もが納める都民税の行き先を、しっかりチェックする役割を担いたい」としたうえで、「誰にも言えない苦しみに寄り添える政治を実現したい。『誰にも言えない』を見捨てない東京へ。私がその声を届ける存在になる」と力強く訴え、「皆さんの1票を山口花に託してもらい、未来へのエネルギーにしてほしい」と呼びかけた。
玉木代表は「出会ったころは、国会に衆議院と参議院があることも知らなかった彼女が、今では都政に挑もうとしている。その原動力は『誰もが夢を持てる社会にしたい』というまっすぐな信念だ」と紹介。
また、「都政には少子化対策、教育、エネルギー、災害への備えなど、国と都が一体となって取り組むべきテーマが山積している」とした上で、「国民民主党のような『対決より解決』の姿勢で現実的な政策を提案できる政党が都政には必要だ」と訴えた。「山口花が秘書として党職員としていてくれたことが、国民民主党が若者や現役世代の声に本気で耳を傾ける政党へと進化する原動力になった」とも述べ、「なんとしても都政に送ってほしい」と演説を締め括った。

>>60
6月22日(日)に以下の国民民主党候補が当選しました。
•東京都議会議員選挙(港区・定数2)
宮崎 大輔(公認・新人)>>28
•東京都議会議員選挙(新宿区・定数4)
奥本 有里(公認・新人)>>14
•東京都議会議員選挙(江東区・定数4)
高橋 巧(公認・新人)>>30
•東京都議会議員選挙(大田区・定数7)
福井 悠太(公認・新人)>>22
•東京都議会議員選挙(世田谷区・定数8)
坂本 雅志(公認・新人)
https://kanto.hostlove.com/political_economy/20250227231848/i726
•東京都議会議員選挙(杉並区・定数6)
国崎 隆志(公認・新人)
https://kanto.hostlove.com/political_economy/20250227231848/i352
•東京都議会議員選挙(練馬区・定数7)
山口 花(公認・新人)>>19
•東京都議会議員選挙(葛飾区・定数4)
鴇崎 直行(公認・新人)>>32
•東京都議会議員選挙(江戸川区・定数5)
天沼 浩(公認・新人)>>34
6月22日(日)に以下の国民民主党候補が当選しました。
•東京都議会議員選挙(港区・定数2)
宮崎 大輔(公認・新人)>>28
•東京都議会議員選挙(新宿区・定数4)
奥本 有里(公認・新人)>>14
•東京都議会議員選挙(江東区・定数4)
高橋 巧(公認・新人)>>30
•東京都議会議員選挙(大田区・定数7)
福井 悠太(公認・新人)>>22
•東京都議会議員選挙(世田谷区・定数8)
坂本 雅志(公認・新人)
https://kanto.hostlove.com/political_economy/20250227231848/i726
•東京都議会議員選挙(杉並区・定数6)
国崎 隆志(公認・新人)
https://kanto.hostlove.com/political_economy/20250227231848/i352
•東京都議会議員選挙(練馬区・定数7)
山口 花(公認・新人)>>19
•東京都議会議員選挙(葛飾区・定数4)
鴇崎 直行(公認・新人)>>32
•東京都議会議員選挙(江戸川区・定数5)
天沼 浩(公認・新人)>>34

>>60
都議選に18人擁立した国民民主、9議席を獲得…練馬区で初当選の山口花さん「都政に新しい風を」
2025/06/23
東京都議選は22日、投開票が行われた。都議会で初の議席を獲得した国民民主党の開票センター(千代田区)では、党関係者らがテレビでニュースを見つめた。礒崎哲史・都連会長は午後8時40分頃、NHKの報道番組で「各党とも等距離で、何よりも皆さんの生活を豊かにして、社会の問題を解決することを重視している。都政も同じ姿勢で臨む」と語った。
国民民主は初めて挑んだ2021年前回選に立候補した4人全員が落選。今回選では好調な党勢を背景に18人を擁立し、「都民の手取りを増やす」を公約に掲げた。18歳以下の都民への給付事業の増額や固定資産税の軽減などを訴え、計9議席を得た。
練馬区(定数7)で初当選を決めた国民民主の新人の山口花さん(28)>>19は、玉木雄一郎代表の元秘書で「現役世代の声を代弁できた。都政に新しい風を吹き込みたい」と力を込めた。
都議選に18人擁立した国民民主、9議席を獲得…練馬区で初当選の山口花さん「都政に新しい風を」
2025/06/23
東京都議選は22日、投開票が行われた。都議会で初の議席を獲得した国民民主党の開票センター(千代田区)では、党関係者らがテレビでニュースを見つめた。礒崎哲史・都連会長は午後8時40分頃、NHKの報道番組で「各党とも等距離で、何よりも皆さんの生活を豊かにして、社会の問題を解決することを重視している。都政も同じ姿勢で臨む」と語った。
国民民主は初めて挑んだ2021年前回選に立候補した4人全員が落選。今回選では好調な党勢を背景に18人を擁立し、「都民の手取りを増やす」を公約に掲げた。18歳以下の都民への給付事業の増額や固定資産税の軽減などを訴え、計9議席を得た。
練馬区(定数7)で初当選を決めた国民民主の新人の山口花さん(28)>>19は、玉木雄一郎代表の元秘書で「現役世代の声を代弁できた。都政に新しい風を吹き込みたい」と力を込めた。
山口 花|国民民主党>>19
@panyachan_jp
【 #終戦の日 によせて】
本日、戦後80年の節目を迎えました。
先の大戦で犠牲となられたすべての方々に、深く哀悼の意を表します。そして、戦後も心身に傷を抱えながら生きてこられた方々に、心からお見舞い申し上げます。
私は鹿児島県鹿屋市で生まれ育ちました。鹿屋は、かつて特攻隊が飛び立った土地でもあります。私の母校の隣にある基地の跡地には慰霊碑が立ち、多くの若者の命が二度と帰らぬ空へと送り出されました。
さらに今は亡き私の大叔父は、シベリア抑留を生き抜いた一人でした。過酷な寒さと飢え、終わりの見えない日々を耐え抜いた彼は、晩年までその影と共に生きました。体が動く限界まで戦争を語り継ぐ活動を続け、死してなお、葬式にきた全ての人間に向けて「戦争を絶対に起こすな」と遺言を残しました。
戦争を知る世代が少なくなる中で、記憶と教訓を次の世代へ確実に継承することは、今を生きる私たちの責務です。政治家として人々の安全を守り、平和国家であり続けるために、何ができるのか。その問いを、私は常に自らに投げかけています。
@panyachan_jp
【 #終戦の日 によせて】
本日、戦後80年の節目を迎えました。
先の大戦で犠牲となられたすべての方々に、深く哀悼の意を表します。そして、戦後も心身に傷を抱えながら生きてこられた方々に、心からお見舞い申し上げます。
私は鹿児島県鹿屋市で生まれ育ちました。鹿屋は、かつて特攻隊が飛び立った土地でもあります。私の母校の隣にある基地の跡地には慰霊碑が立ち、多くの若者の命が二度と帰らぬ空へと送り出されました。
さらに今は亡き私の大叔父は、シベリア抑留を生き抜いた一人でした。過酷な寒さと飢え、終わりの見えない日々を耐え抜いた彼は、晩年までその影と共に生きました。体が動く限界まで戦争を語り継ぐ活動を続け、死してなお、葬式にきた全ての人間に向けて「戦争を絶対に起こすな」と遺言を残しました。
戦争を知る世代が少なくなる中で、記憶と教訓を次の世代へ確実に継承することは、今を生きる私たちの責務です。政治家として人々の安全を守り、平和国家であり続けるために、何ができるのか。その問いを、私は常に自らに投げかけています。
